アラン・ドロン
アラン・ドロンの詳細情報・プロフィール
- 生年月日
- 1935/11/8
- 身長
- 178cm
- 出身地
- フランス/パリ
- 活動期間
- 1957年 - 2017年
- 詳細
- 4歳の頃両親が離婚し、互いの再婚で居場所がなくなり、8歳で里子に出されるという不幸な少年時代を送った。17歳で外人部隊に入隊し前線に向かう。除隊後は、様々な仕事を転々とする一方で、その美貌故に女性たちに貢がれて暮らしてきた。56年頃、ジャン=ポール・ベルモンド、ジャン=クロード・ブリアリらと知り合いになり、カンヌ国際映画祭に行ったところ、映画人らに目をつけられ、その美貌を武器に映画界でチャンスをつかんでいく。57年、「女が事件にからむ時」で映画デビュー。58年に「恋ひとすじに」で共演した人気女優ロミー・シュナイダーとロマンスが生まれ、婚約までするが、64年に一方的に婚約を解消し、二人を祝福していたヴィスコンティ監督を怒らせ、主演するはずだった「異邦人」を降板。しかし、ルネ・クレマン監督の「太陽はいっぱい」(59)で彼自身そのもののような野心家の美青年を演じて絶賛され、国際スターとなる。マフィアとの関係など、黒い噂のある彼は「サムライ」(67)、「さらば友よ」(68)、「ボルサリーノ」(69)、「シシリアン」(69)、「仁義」などのフィルム・ノワールにも数多く出演し、美男スターからニヒルな俳優への転進に成功したが、7 年代後半からはパッとせず、それに比例するように実業家としての手腕を発揮。「スワンの恋」(83)、「カサノヴァ最後の恋」(92)など、役者としては油がのってきていたが、ジャン=ポール・ベルモンドとのダブル主演で送り出した「ハーフ・ア・チャンス」(98)が期待した成功を収めなかったため、引退宣言をした。しかし、 年にはベルトラン・ブリエ監督のコメディ「Les Acteurs」に本人役で登場。以降は、数本のTVに出演している。7 年代はフランス以上に日本で絶大な人気があり、映画雑誌の人気投票でも数年間は一位を保っていたほど人気を誇っていたが、フランスではジャン=ポール・ベルモンドほど評価されることはなかった。私生活では、64年、兄妹のように似ていると言われたナタリー・ドロン(旧姓:バルテルミー)と結婚。しかし、「ジェフ」(68)で共演したミレーユ・ダルクと同棲を始め、ナタリーとは69年に離婚。ミレーユとは15年後に同棲を解消。87年にオランダ人のロザリー・ヴァン・ブレーメンと結婚し、二子をもうけるが、 離婚した。ナタリーとの間の息子で、彼にそっくりのアンソニーも俳優。また、アーティストたちのミューズだった女優でシンガーの故ニコとの間に、クリスチャン・アーロン・ブーローニュという息子もいる。
- 引用元リンク
アラン・ドロンの出演映画作品
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ココ・シャネル 時代と闘った女
制作年:2021年7月23日(金)公開
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山猫〈4K修復版〉
制作年:2019年3月17日(日)公開
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あの胸にもういちど デジタル・リマスター版
制作年:2018年7月21日(土)公開
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旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス
制作年:2017年9月9日(土)公開
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若者のすべて〈デジタル完全修復版〉
制作年:2016年12月24日(土)公開
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ボルサリーノ〈デジタル・リマスター版〉
制作年:2014年3月1日(土)公開
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山猫〈イタリア語・完全復元版〉
制作年:2004年10月23日(土)公開
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太陽がいっぱい
制作年:1998年8月15日(土)公開
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百一夜
制作年:
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スワンの恋
制作年:
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リスボン特急
制作年:
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黒いチューリップ
制作年:
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真夜中のミラージュ
制作年:
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サムライ
制作年:
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もういちど愛して
制作年:
「アラン・ドロン」に関するFAQ
Q.アラン・ドロンの生年月日は?
A.1935/11/8
Q.アラン・ドロンの出身地は?
A.フランス/パリ
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