山藤章二 関連記事

  • 75歳で逝った立川談志を偲ぶ 「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」で秘蔵音源も

    エンタメ

      11月21日に喉頭がんのためこの世を去った稀代の落語家・立川談志を偲び、AM1242ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は24日、当初の番組内容を急遽変更し、ニッポン放送に眠る秘蔵音源と、立川志らく、立川志の輔をはじめ、野末陳平、山藤章二ら、立川流一門とゆかりの深いメンバーとともに家元・立川談志を偲んだ。番組では「私と談志師匠」というテーマでリスナーからメッセージを募集し、普段よりも多い数百通におよぶメッセージが寄せられたという。 @@cutter   番組冒頭では、1993年12月に放送された同番組で、春風亭昇太、立川談春、立川志らく、三遊亭新潟(現・白鳥)ら若手落語家達が談志師匠の自宅へ暮れの挨拶へ行った際の模様が流された。その中で昇太が談志に「私は新作落語をやっているのですが、師匠はお好きですか?」との質問に、談志は「新作ってのは、古典の良さのわからない頭の悪いやつがやるもんだ。」とバッサリ。昇太「古典の良さは十分理解しているつもりなんですが、私は古典落語が上手にできないもんで…」と打ち明けると、師匠は「できると思うよ。うん、できると思う」と優しい言葉をかけた。   高田は番組内で「スポーツ紙記者の皆さんに感謝だね。たくさん書いて頂いて。そしてあの見出しね。談志が死んだ。上から読んでも、下から読んでも同じだって談志師匠本人が『俺が死んだら見出しはこれで頼むよ!』って言ってたね」。   師匠との最期の別れについて志らくは「9月下旬に一人で病院へ行ったんです。その頃にはすでに満足にしゃべれない状態だったんですが、家元は僕に『人生こんなもんだい』と書いてくれて…。私は、家元にビン・ラディンがプリントされているトイレットペーパーと落語の本を差し上げました。喜んでくれまして。私が病室を出るときに、口パクで『電気を消してくれ』って。それが私への最期の言葉でした」と話した。   その他にも、談志ゆかりのゲストが電話出演でコメントを寄せた。   大親友だった野末陳平は「いやぁ、寂しいよ。ガックリきちゃって…」と心境を語ったあと、「談志さんは最後の最後まで偉かったな。天才と狂気の間を揺れ動いて、『談志』という人間を生ききったね。落語家というより、一人の男として。マネしろったってマネできない生き方だよ」。   50年来の“戦友”である山藤章二は「明るくおくらなきゃいけないんだけど、やっぱり50年も付き合っていると心の支えがなくなっちゃた感じがするよ。つう、かあで文化について語りあえる友人がいなくなってしまったね…。ダメージは長引きそうだね。談志前、談志後と落語の歴史を大きく変えた男だったね」。   立川志の輔は、「昨日は師匠行きつけのお店で一門で献杯しながら夜遅くまで語りました。雲黒斎(うんこくさい)の名前もちゃんと並べてね。この引き際は師匠が『最後はお前たちのもんだよ』って言ってくれていると感じました」と語っていた。

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