クランクイン!

  • クランクイン!ビデオ
  • クラインイン!コミック
  • クラインイン!トレンド

  • ウェブ全体を検索
  • このサイト内を検索

スティング

「スティング」の関連記事、写真の一覧です。「デューン/砂の惑星 4K リマスター版」「さらば青春の光〈デジタルリマスター版〉」などの映画出演情報、ドラマの放送予定、最新ニュースも随時更新中!
 
Sting スティング
スティング (C)AFLO

スティングの詳細情報・プロフィール

生年月日
1951/10/2
出身地
イギリス
詳細
本名はゴードン・マシュー・サムナー。黄色と黒の縞模様のセーターをよく着ていて蜂のように見えたということから、“スティング(針で刺す)”と呼ばれるようになったという。労働者階級の家庭に生まれ、造船工場の騒音の中で育った。少年の頃にギターを始め、英語を専攻していたウォーウィック大学を1年で中退。教員養成学校を修了して小学校で英語教師をしながら、バンド活動を続けた。ジャズロック・バンド「ラスト・エグジット」で知られる存在となり、77年、アンディ・サマーズ、スチュワート・コープランドと共にブロンド三人組の実力派スリー・ピース・バンド「ザ・ポリス」を結成。78年にデビュー・シングル「ロクサーヌ」が大ヒットを記録。名曲「孤独のメッセージ」を含んだ2枚目のアルバム「白いレガッタ」が全英第一位となり、ニューウェイヴの旗手として爆発的な人気を得る。美しいが反抗的な面構え、独特のハスキー・ヴォイスを持つフロントマンとしての魅力もさることながら、フラットレスのベースからユニークなリズムを繰り出す“Mr.ベースマン”としても高く評価された。ポリスでは5枚のアルバムをリリース。84年からソロ活動を始め、初のソロ・アルバム「ブルー・タートルの夢」も大成功を収める。俳優としては、モッズ映画「さらば青春の光」(79)で映画デビュー。“怒れる若者たち”のアイコン的存在感は強烈で、演技力はともかく、その後も、デヴィッド・リンチ監督の「砂の惑星」(84)、フランケンシュタイン博士を演じた「ブライド」(84)、メリル・ストリープの種馬となる「プレンティ」(85)、頑固なジャズクラブのオーナーとして登場した「ストーミー・マンディ」(88)、テリー・ギリアム監督の「バロン」(89)、妻と共演してミステリアスな執事を演じた「グロテスク」(95)など、クセのある作品でカリスマ的な魅力を発揮。また、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98)でのクールな不良オヤジっぷりはポリス時代を彷彿とさせた。映画音楽も数多く提供。[%エリック・クラプトン%]と共演した「リーサル・ウェポン3」(92)の主題歌「イッツ・プロバブリー・ミー」を収録したアルバム「テン・サマナーズ・テイルズ」ではグラミー賞を受賞。「ラマになった王様」( )の主題歌「MY FUNNY FRIEND AND ME」でもグラミー賞とアカデミー賞主題歌賞にノミネートされる。さらに、「ニューヨークの恋人」( 1)の主題歌「Until...」もオスカー候補となり、ゴールデン・グローブ賞を受賞。賞とは関係ないが、「レオン」(94)の「シェイプ・オブ・マイ・ハート」も愛されている曲の一つだ。団子鼻がほっそりしてゆくにつれ、音楽も洗練されてゆき、今やミュージシャンとして人気・実力ともに不動の地位にある。01年には「アリー・myラブ」の第4シーズンにゲスト出演。ライブ中にある女性を見つめて誘惑するように歌ったとして、その夫から訴えられる本人役で登場。50歳を過ぎても、渋くセクシーな男っぷりは健在だ。私生活では、76年に女優のフランシス・トメルティと結婚して2人の子供に恵まれるが、84年に離婚。92年には映画プロデューサーのトゥルーディ・スタイラーと再婚し、4人の子供をもうけている。父とそっくりの長男ジョセフもバンドで活躍中。スティングは熱帯多雨林基金を設立するなど、環境および人権保護運動の熱心な活動家でもある。「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」以降の映画出演はない。
引用元リンク

スティングの関連記事

スティングの出演映画作品

「スティング」に関するFAQ

Q.スティングの生年月日は?

A.1951/10/2

Q.スティングの出身地は?

A.イギリス

最新ニュース

  • [ADVERTISEMENT]

    Hulu | Disney+ セットプラン
  • [ADVERTISEMENT]

トップへ戻る