【レビュー】予測不能な物語の先にあるものとは… 『唄う六人の女』が描く真のテーマに迫る
提供:映画『唄う六人の女』
短編ドラマながらカルト的な人気を呼び、劇場版まで製作された『オー!マイキー』で注目された石橋義正が、『ミクロクローゼ』でタッグを組んだ山田孝之と共に約10年ぶりの新作映画を発表。長年温めてきた本企画で、監督・脚本・編集を兼任したのが、映画『唄う六人の女』である。車の事故をきっかけに、“異界”とも呼ぶべき山深い森に迷い込んだふたりの男が、物言わぬ六人の女たちに監禁され、翻弄される姿が描かれてゆく。彼女たちに惑わされるコマーシャルフォトグラファーの男を演じたのは竹野内豊。未知の森に迷い込んだ極限状態にあっても人間性を失わない清廉さを体現して、予測不能な物語を力強く牽引してみせている。
■美しく奇妙な“物言わぬ”六人の女
コマーシャルフォトグラファーとして活躍する萱島(竹野内豊)のもとへ、音信不通となっていた父親(大西信満)の訃報が届く。4歳の時に離婚して以来、父親は山奥にある生家に独りで暮らしていたらしい。父が遺した山を売るために久しぶりに生家へ訪れた萱島は、恋人のかすみ(武田玲奈)から「話がある」との意味深い電話を受ける。相続した山を開発業者の宇和島(山田孝之)に売却した萱島は、彼の車で帰路につくが、和服姿の女(水川あさみ)を避けた刹那、車は巨岩に衝突してしまう。目覚めた萱島は、和服姿の女に監禁されていることに気付くのだった…。
映画『唄う六人の女』では、竹野内豊演じる萱島が東京で活躍するコマーシャルフォトグラファー、山田孝之演じる宇和島が東京の開発業者と、山で暮らすものたちにとって彼らが外部の人間であることが重要なのだ。映画の序盤では、蜂や蝉をはじめとする虫の音が山間部で鳴り響いている。やや耳障りな音響効果を施しながら、やがて蜂の羽音が車のエンジン音と同期してゆくという演出は、山で暮らすものたちと山へやって来たものたちにとって、異質と感じさせるものの違いを観客へ聴覚的にも訴求させてみせている。
己の身近にあるものとの違いは、何かを排除・排斥しようとする心理的な根源となるが、理解に及ばないものを排斥しようとする傾向は国際的な悪しき社会の潮流でもある。今作では、山へやって来た人間が舞い飛ぶ蜂を、山で暮らすものが萱島と宇和島を、己の日常とは無縁で異質な存在として痛めつけているのだと解せる。
また、山で暮らす“唄う女”たちには、それぞれ個性を持たせていることもうかがえる。例えば、水川あさみが演じる“刺す女”、アオイヤマダが演じる“濡れる女”、服部樹咲が演じる“撒き散らす女”、萩原みのりが演じる“牙を剥く女”、桃果が演じる“見つめる女”、そして、武田玲奈が萱島の恋人役と見事な二役で演じ分けた“包み込む女”。加えて、本作にプロデューサーとして参加し、近年は数多の映画でドローン撮影を担ってきた女優の下京慶子も“唄う女”のひとりとして登場。彼女たちには各々の役割があるのだ。
もうひとつ、“唄う女”たちには共通の特徴がある。それは、言葉を発さない“物言わぬ”存在であるということ。奇声を上げ、泣き叫ぶことはあっても、彼女たちとは言葉によるコミュニケーションが成立しないのだ。そのため萱島と宇和島は、彼女たちの表情などから心情や思考を推し量ろうと、相手に対して能動的にならざるを得なくなるのである。
■表層的な印象に錯誤する予測不能な展開
サイレント映画的な感覚とも言えるこのメカニズムは、石橋義正の『オー!マイキー』に通じるものがある点も興味深い。例えば、全く表情の変わらないマネキン人形を使った『オー!マイキー』では、声優たちが科白として心情を代弁することで、視聴者は聞こえてくる言葉から表情を推し量っていたという構図があった。
一方『唄う六人の女』では、“唄う女”たちが物言わぬ存在であるからこそ、表情から心情を推し量っているという逆転現象が起こっている。さらに、言葉に依らない表現なるものには、山で鳴り響く虫の音とも親和性がある。それは、わたしたちにとって虫の音は明確な理解を伴う言語ではないものの、虫たち同士にとってはコミュニケーションの手段になっているからだ。ここには異質なものに対するメタファーが潜んでいる。
萱島が山の自然を理解してゆくのと同時に、虫の音は鳴りを潜めてゆく。それは「音が消える」というよりも、「音が気にならなくなる」という感覚を導いている点が重要だ。映画の序盤で蜘蛛を殺めることなく解放する萱島の姿は、本来その地に生息するものへ寄り添う姿勢を静かに描き出していることをうかがわせる。
“唄う女”たちには各々役割があると前述したが、つまりは彼女たちの攻撃にも意味がある。表層的な印象に惑わされることの愚かさを、徐々に突きつけてゆくという意外な展開。その向こう側に『唄う六人の女』の真のテーマが隠されている。一見バラバラに見えるモチーフが、ひとつの真実へと集約されてゆくという快感。予測不能な物語の先にあるものが、わたしたちの暮らしに直結した深刻な社会問題であるからこそ、異質なものと共鳴し協調することの意味を今作はわたしたちに悟らせるのである。
映画『唄う六人の女』は10月27日(金)、TOHOシネマズ日比谷他、全国ロードショー。
公式サイト>
(C)2023「唄う六人の女」製作委員会
文:松崎健夫(映画評論家)
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