フットボールアワー、『M-1』で“芸人引退”よぎった挫折 最高傑作に「55点」付けられ
お笑いコンビ・フットボールアワーの岩尾望と後藤輝基が、24日放送の『TOKIOカケル』(フジテレビ系/毎週水曜23時)に出演。2人が『M-1グランプリ2001』(テレビ朝日系)に出演した際に味わった挫折を語った。
【写真】『M-1グランプリ』優勝逃すもブレイク果たした“第2位”コンビ
元々、別々のコンビで活動しながら、プライベートでは夜が空けるまでファミレスで話し込むなど仲が良かった2人は、同時期にお互いのコンビを解散するという偶然も重なり、1999年にコンビを結成する。
そんな2人が出場した初開催だった『M-1グランプリ2001』に話題が及ぶと、後藤は「誰もがどういう大会か分からんような状態で始まった」と振り返り、「(島田)紳助さんと松本(人志)さんが見ている前で(漫才を)やるっていうのだけがビッグイベントだった」と、当時の印象を回顧する。
今では緊張感が漂う中でもアットホームな雰囲気の『M-1』だが、当時は殺伐とした雰囲気だったと振り返る2人。そんな初回大会で松本が2人の漫才につけた点数は「55点」。2人はショックだったようで、後藤は「もう辞めようかなって思ってたんですよ。低すぎて」「憧れてる人が50何点を出すってことは『なしです』って言われてるようなもの」と×印のジェスチャー。岩尾も当時は同様に思っていたようで、「無理やろなって。全否定されたみたいな感じなので。今までの最高傑作を持っていったつもりが、その時点では全く通用しなかったので…」と当時を振り返る。
しかし、劇場の出番など仕事のスケジュールが埋まっており、コンビはとりあえず継続することに。ネタの作り方などを試行錯誤した末に臨んだ翌年の『M-1』では一転、紳助さんと松本から大絶賛をされたという2人。紳助さんは「お前ら去年出てた?」と、2人の成長ぶりに目を丸くしたという。3度目の挑戦となる翌年の大会で優勝し、3代目の王者となった2人。しかし、第2回大会で大きな成長を大先輩たちに認められたときの方がうれしかった、と2人は口をそろえていた。