【ライブレポ】清野茂樹単独トークライブ「アイアム実況者」に見た“真の邪道”
清野茂樹は自らのことを“邪道な実況アナウンサー”だと自称する。放送局で実況の経験を積むことなく、我流で身につけた技術で闘う彼は、確かに邪道と呼べるのかもしれない。だが私は「実況」という芸にここまで筋を通す邪道を他に知らない。筋を通さないことを邪道と言うのではない。筋を通した上で我が道を行くことこそが真の邪道なのだ。清野はそれを知っている。たとえそうじゃなくても、それはたいした問題ではない。
【写真】唯一無二な芸に感服 清野茂樹「アイアム実況者」ライブカット
2025年12月6日、代官山にて開催された清野茂樹の単独トークライブ「アイアム実況者」に足を運んだ。恥ずかしながら清野のライブを拝見するのは初めてだった。テレビでよく目にする普段の姿とは違い、ライブならではのステゴロの清野が見られるのでは……いや、見せてくれという期待で開演を今か今かと待ちわびる。
前売りチケットは完売。土曜日の昼間から「実況芸」という珍妙な催しを見に来る人たちの静かな熱気が心地良い。こういう素敵な共犯関係が成り立っている現場ってありそうで意外にない。
ライブは開演から閉演まであっという間だった。予定時間を大幅に超え、2時間1人で喋りっぱなしの清野の独壇場。日本における実況の変遷を丁寧に紐解きながら、歴史に残る名実況の完コピまで披露する芸達者ぶり。自分が進む道の歴史をさかのぼること、偉大なる先人たちへの敬意を持つことの大切さを清野は知っている。
これは勝手に思っていることだが、私と清野の共通点は「記憶力」だと思う。子どもの頃、女の子が好き過ぎるあまり、クラスメイトの女の子全員との思い出を大人になった今も鮮明に覚えており、それを1冊の本にまとめてしまった私と、プロレスが好き過ぎるあまり、何月何日にプロレス界にどんな出来事が起きたのかを全て記憶している清野。
好きなことの記憶って執念の賜物であり、一種の呪いだよなってしみじみ思う。
「20年前、東京でひとり道に迷っていた人間が今、ここに立っています」と清野が笑顔でライブを締めたとき、その笑顔の奥に、実況に殉ずる者の覚悟が垣間見えた気がして、感動と共に戦慄を覚えた。
清野の実況芸には愛だけじゃなくて、ちゃんと狂気がある。だから信頼できる。怒られてしまうかもしれないが言う。清野は実況者になるべき人ではなく、実況者になるしかなかった人なのだ。
ちょっと言い過ぎだろうか。いや、言い過ぎじゃない。自分の才能なんて信じるな、自分の中にある愛と狂気を信じろ。迷ったときは清野茂樹の実況芸を聴けばいい。(文:爪切男)

