ジョージ・マイケルの栄光の日々と、語られなかった永遠の孤独 ワム!マネジャーが監督するドキュメンタリー公開
1981年、18歳のジョージ・マイケルは、12歳の時からの友人であるアンドリュー・リッジリーとボップデュオ・ワム!を結成。当初契約したインナーヴィジョン・レコーズとの契約の問題でシングルが出せない状況となるが、賢く乗り切る。しかし人気絶頂となっても、ジョージ自身は幸せを感じず、1986年にソロシングル「ディファレント・コーナー」でセクシャリティの葛藤を歌い、直後にワム!は解散を発表。
1987年に発表したソロ・デビューアルバム『フェイス』はグラミー賞を受賞するが、1990年発表の「フリーダム!'90」のMVで、『フェイス』のキーアイテムだった革ジャンを燃やし、ポップスターのイメージから脱却。望んでいたはずの名声と引き換えに葛藤とジレンマを抱えていたジョージは、1988年のテレビのインタビューにて不意打ちで同性愛者か聞かれた際、「違うけど、誰にも関係ない」と答える。
そんなジョージは1991年、ブラジル人衣装デザイナーのアンセルモ・フェレッパと運命的な出会いを果たす。幸せな日々を過ごしていたのも束の間、治療法のない時代にアンセルモがHIV陽性になり急逝。1993年、所属レコード会社の幹部の一人が自分のセクシャリティに対して差別用語を使ったという噂を聞いて怒ったジョージは、自分のためでなく業界全体のためにと、他の業界では改善されているアーティスト個人の権利の確保のために裁判で闘うが、結果は敗訴。
2002年には、「シュート・ザ・ドッグ」でブレア首相とブッシュ大統領を批判すると、今度はメディア王マードックとの闘いに。そして2011年、オーストリアで肺炎にかかって危篤状態となり…。