吉高由里子「闘っている分、得している」 蓬莱竜太と語る“現代女性に強いられる闘い”
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昨年の大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合ほか)でも、高い演技力と人を惹き付けて止まない存在感を見せつけた吉高由里子が、現代社会に潜む矛盾や孤独を浮かび上がらせる主演舞台『シャイニングな女たち』を前に、作・演出を手掛ける蓬莱竜太(「蓬」は「1点しんにょう」が正式表記)と対談。「女性は常に闘いにさらされているが、吉高さんにはしなやかな強さがある」と印象を語る蓬莱に、吉高は「闘っている分、得している部分もある」と“らしい”言葉を発した。
【写真】吉高由里子×蓬莱竜太 初タッグで早くも息ぴったり(10枚)
■「ちゃんと傷つく」。その人個人の内面を刺激する、蓬莱作品の魅力
――本作は群像劇です。主人公の海(吉高)が、他人の「お別れの会」に紛れ込んでビュッフェを食べて帰る行為を繰り返していたところ、大学時代の仲間の「お別れの会」に出くわしたことから始まります。他人の「お別れの会」に参加する主人公という設定はどこから。
蓬莱竜太(以下「蓬莱」):実際にそうした人がいたらしいんです。それを聞いたことがあって「そんな人がいるんだ」と。
吉高由里子(以下「吉高」):実際にあるでき事からきていたんですね。
蓬莱:そんな人が本当に自分の近しい人の「お別れの会」に遭遇して、“自分は呼ばれていない”ことに気づいたらどうなるだろう。それを吉高さんに演じてもらえたら、どうなるかなと思いまして。他人の「お別れの会」に通う行動自体には闇があるんですけど、そうせざるを得ない状態にあった人が、そんな偶然に遭遇したらどうなるのか。そこから話を展開させていけたらと思いました。
蓬莱竜太
――吉高さんは、もともと蓬莱さんの作品に出演したいと思われていたとか。どんなところに魅力を感じていたのでしょうか。
吉高:ちゃんと傷つくところです。自分の経験を呼び戻されるようで苦しいんですけど、でもどこかで慣れてしまっていた自分にハッとさせられるというか、改めて気づかされる部分が多くて刺激を受けます。他人の「お別れの会」に参加するという気持ちは私にはわかりませんが、台本に、海が知らない人の「お別れの会」に参加していて、「なんかわからないけど泣いているかも」となる描写があるんです。私も昔、学校の同級生が亡くなって、ほとんど話したこともなかった人だったのですが、同級生だということでお葬式に参加したら泣けてきたことがあって。
蓬莱:へえ。
吉高由里子
吉高:魂が抜け落ちた肉体だけがある現実に、この人はもういないんだけど、自分は生きているという実感と、でも肉体同士は対峙(たいじ)しているという不思議な感覚に戸惑ったというか。悲しいとも違うんですけど。奇妙な感覚に陥ったあの日のことを思い出したんです。……ほら、忘れている感覚を、こうやっていきなり思い出させてくるんですよ。
蓬莱:無理に思い出させようと思っているわけじゃないんだけど(苦笑)。
吉高:意図はしていないかもしれませんけど、無意識の暴力があるんですよ。そこが魅力で。この先もきっと、あるのだと思います。

