「ブス」の言葉に悩んでいる人へ 整形アイドル轟ちゃんと“可愛いの呪い”を考える
■自分と他人の“可愛い”は別と考える
ーー地獄のような日々の中で、“離脱”するまでの間に救済措置はありましたか?
わたしにとって、妄想や仮想現実に沈み込むことと、寝ることが唯一の救済でした。でも当時のわたしは、それを“逃げ”だと思っていたんです。状況を打破しないといけないのに、現実と向き合わない自分に嫌悪感を感じていたのですが、今振り返ると上手いやり過ごし方だなと思います。「無理やり外に出ろ」と言う人もいますが、わたしにとっては引きこもることが充電でした。
ーー没頭できることがあれば、少しの救いになりますよね。
好きなことを見つけるって本当に大事だなって思います。好きまで至らなくても、興味を持つことから始めて、“やりたい”から“やる”に変える。そこからコミュニティーに出会えるかもしれません。先が見えないってなったときに、「ここ以外にも行き着く場所はあるよ」ということを、悩んでいる人に伝えたいです。
「容姿に階級はありません」
ーーそんな一方で、他者からの「ブス」の言葉が離れない現実もあります。
本を書いていたときに気付いたのですが、自分の思う可愛いと世間の思う可愛いって、一緒に考えちゃいけないんです。わたしの場合、自分の可愛いと世間が思う可愛いは別なんだと考えたら、気持ちが楽になりました。
今だと橋本環奈さんや白石麻衣さんのような完璧なゴールに、みんなが向かいすぎているのではないでしょうか。いろんな可愛いの種類があるから、自分が可愛いと思うものを着て、自分の可愛いを目指したら良いと思います。自分で納得する可愛さを手に入れるのが、“可愛い戦争の離脱”なのかな。
ーーたしかに! 「ブス」の自虐ノリが受けるやっかいな環境は、どう打破しましょう。
学校で「ブス」って言われたりしてる視聴者さんの声を聞くと、「すごい、わかる~」って共感します。若く、強い意思をもって「わたしは可愛い」と、なかなか言えません。だから大人になったときに、力が持てるように、ちょっとずつ“世間と自分の可愛いは別”という思考を徐々に植え付けるのがいいのではないかなと思っています。
でも、わたしもメイク動画を公開すると、「ブスを武器にしている人もいるのだから、身の程をわきまえてメイク動画なんかやめなさい」ってコメントが来るんです。ブスを笑いに変えることが正解だと思っている人も世の中にはいるんです。本来はパーツが異なるだけで、この顔はこの職業って決まっていないはずなのに…。
ーーそれは酷い。“身の程”って言葉、わけわかんないですよ。
確かにモデルさんや女優さんのような職業だと、時代の波もあって“求められている顔”があると思います。でも本来、容姿に階級はありません。わたしが整形するのは、わたしの中に「容姿に階級がある」という考えがあるからと思われがちですが、視野を広げたかっただけです。それを“ずるい”と感じる人もいるようですが、外見で選択肢が狭まるのは悲しいことだと思います。