福山雅治、初のダークヒーロー役で意識した“演技の匙加減” 本当の悪人に見えるのは「つまらない」

映画『ブラック・ショーマン』が9月12日に公開。東野圭吾による小説『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社)が原作の本作で、『ガリレオ』シリーズで長年、東野とタッグを組んできた福山雅治が、元・超一流マジシャンでありながら金にシビアで息を吐くように嘘をつく神尾武史を演じる。実は、『ブラック・ショーマン』シリーズは福山の「ダークヒーローを演じてみたい」という言葉がきっかけで生まれた作品だとか。常にエンターテイナーとしての振る舞いを忘れない神尾を福山はどのように演じたのか…たっぷり語ってもらった。
【写真】福山雅治、大人の雰囲気が漂う撮りおろしカット(全10枚)
■物語ができたからには映像にしたい
――今回、福山さんの「ダークヒーローを演じてみたい」という一言が東野先生の執筆のきっかけになったとのこと。実際に物語が出来上がった時のお気持ちはいかがでしたか?
福山:うれしかったです。物語ができたからには、「やっぱり映像にしたいですよね!」と思ってしまいました。物語の構造が面白くて、読んでいると一瞬「何の話だっけ?」となりながらも、最終的に「ああ、このことが聞きたかったのか」というところに着地していく。神尾の話にはトリックや仕掛けが必ずあるんですけど、最初は分からない、手品のようなトーク術なんです。
『ブラック・ショーマン』場面写真 (C)2025映画『ブラック・ショーマン』製作委員会
――長く東野先生とお仕事をされている福山さんが思う“東野圭吾作品”の魅力とは?
福山:僕は、東野先生ご自身が大変情に厚い方だと思っています。先生の作品に出てくる人は、主人公に関してはキャラクターが立っている人が多いですが、他の登場人物はごく当たり前の暮らしをしている人が多い。湯川さんは普段は何をやっているか分からないし、武史も謎が多い男です。ただ他の登場人物は、いい意味でありふれた日常を暮らしている方が多くて。その心の機微が描けるのは、先生が日々の暮らしで当たり前の人付き合いをごく自然にやられているから描けるんだろうなと思うんです。
一方で先生は物理学をやられていたので、非常に論理的で物事をロジカルに分解し組み立てることができる方でもある。この両軸が先生の作品の楽しみ方だと僕は思っています。
――そもそも、福山さんがダークヒーローを演じてみたいと思ったきっかけは、どういったところだったんでしょう?
福山:東野先生原作の『ガリレオ』シリーズを長くやらせていただいて、湯川学という天才物理学者の存在がもし悪の心を持ってしまったら、それこそマッドサイエンティストとしてそれはもう世界が大変なことになっちゃうなと密かに想像していたんです。大量破壊兵器、細菌兵器、世界を滅亡させる程の高い知能を持っている人。もちろんすべては僕の空想です。ただ、「もし湯川さんが悪側の人だったらどうなるんだろう?」と。もちろん湯川さんは善の人なので絶対に悪にはいきませんが、僕と湯川さんとの付き合いの中で、「もし東野先生が湯川さんとは異なるダークなキャラクターを描くとしたらどんな作品になるんですかね?」みたいな会話の流れからだったと思います。
――神尾武史というダークヒーローの魅力はどういったところに?
福山:実際のところ「どっちなんだろうな?」というところでしょうか。ダークヒーローと言いながらも、「がっつりダーク側の人なのか? そう見せちゃってるだけなんじゃないの?」というところが、武史の魅力なのかなと思っています。
――ダークヒーローか否か、微妙な部分を演技で表現するのはいかがでしたか?
福山:その匙(さじ)加減は1カット1シーンごとに監督と細かく作り上げてきました。いい人に見えちゃうとつまらないし、本当に悪い人でもまたつまらないなと思う。「どっちなんだろう? 本当はいい人なんじゃないの? いやいや、人をだましてそのことに快楽を感じるような根っからの悪人」とかいろいろと。おそらくそのどちらの要素もちりばめた方がいいんだろうなと思ったので、そこはシーン、カットごとに一言一言を積み重ねていきました。