24の調から広がる2つの世界――吉見友貴が挑むショパンとショスタコーヴィチ
――公演に寄せたメッセージで「無限に膨張し続ける宇宙のような広がり」と表現されているのは、そういった意味が込められているんですね。取り組むなかで、24曲のうち、以前とは印象が変わった曲はありますか?
吉見:特に変わったのは第15番 変ニ長調――いわゆる《雨だれ》です。この曲だけ取り出されて様々な場面で弾かれすぎていて、イージー・リスニング的な曲なのではないかと思っていた時期もありました。でも《24の前奏曲》全体のなかに位置づけてみると、前半には短い曲が多いこともあり、第15番が全体の中心になっているような感覚があります。実際に、演奏時間的にもちょうど真ん中ぐらいに置かれていますしね。
ダン・タイ・ソン先生は、この曲で繰り返される「ラ♭(=ソ♯)」は「決して単なる雨だれを表しているのではない。死に直面したショパンを描きなさい。ただ美しく弾くのではなく、病弱だったショパンが死を目の当たりにした瞬間、死に対する感覚を持って弾きなさい」ということをおっしゃっていました。そう言われてからハッとして、別の世界が視えてきましたね。精神的に非常に深いところまで追求できる曲なのだと、先生のレッスンを受けてはじめて思い知りました。
――通俗的なイメージという点でいえば、日本では胃腸薬のCMのイメージがついてしまった第7番 イ長調もそうした曲のひとつかと思いますが、コルサンティア先生とダン・タイ・ソン先生からはそれぞれどんなことを教わりましたか?
吉見:第7番も位置づけがすごく難しいなと思います。コルサンティア先生は第6番からの流れと、第8番へ行く中間地点として、「ダンスというより、幻のような感じで弾きなさい」とおっしゃいます。ところがダン・タイ・ソン先生は、「マズルカなのだから、もっとダンスのグルーヴ感を加えなさい」とおっしゃるんです。もちろん、どちらが正しいという話ではありません。僕はどちらかに決めてしまうのではなく、実際に演奏するまで可能性を残しておこうと思っています。
――ショパンに対して、同じタイトルを持つショスタコーヴィチの《24の前奏曲》を組み合わせた理由は?
吉見:ショパンの《前奏曲集》を自分のリサイタルで弾くなら、別の作曲家が24の調を使って調性をどう描いたのかを並べてみたら面白いと思い、迷わずショスタコーヴィチにしました。エリソ・ヴィルサラーゼ先生がこの曲の録音を残していて、弾きたいと思った曲なんです。ヴィルサラーゼ先生には霧島音楽祭に行った時にショスタコーヴィチを見ていただこうと思っています。
――ショスタコーヴィチは作曲家であると同時に、優れたピアニストでもありましたよね。実際に弾くことで、ピアニストとしての側面が見えてくることはありますか?
吉見:楽譜だけ見ていた時点では「弾きづらそう」とずっと思っていましたが、弾いてみると手になじむ瞬間がかなり多いんです。実際にややこしいところもあるのですが、そのややこしさにも一貫性があります。どういうパッセージがショスタコーヴィチ自身の手に合っていたのか、曲を弾く中で何となく分かってくる瞬間があるので面白いですね。
また、ピアノをどう鳴らせばいいのかをよく分かっている作曲家だと思います。それは第1曲の冒頭2小節ぐらいで、すぐに分かります。分散和音を弾き、その響きの中から上声のメロディが流れていく。その響きの設計から「この人はピアノをよく知っていたんだな」と伝わってきます。それに、様々な調へ移ったとしてもペダルを使った響きが決して汚くならないんです。どういう音を鳴らせば、どういう倍音が出るのかを理解していて、無駄な音がそぎ落とされている印象を受けます。
――吉見さんのメッセージでもショパンと「全く違う世界が広がる」とショスタコーヴィチを紹介していましたね。
吉見:もちろんショスタコーヴィチの音楽――特に《24の前奏曲》のなかには美しい旋律や叙情性が詰まっています。それに加えて強く感じるのが「演劇」的な要素です。ショスタコーヴィチはオペラや映画音楽にも優れた楽曲を残していますし、1曲1曲がどういう演劇で、どういう舞台セットで、どのような出来事が繰り広げられるのか? それらが最初の1〜2小節ではっきりする曲が多いと思っています。
――ショパンの《24の前奏曲》は、その時々の状況によって曲同士のつながりも変化するというお話でした。ショスタコーヴィチの場合はいかがでしょう?
吉見:ショスタコーヴィチはショパンと反対ですね。1曲1曲が、どのようなセッティングなのかがはっきり伝わってきます。本番ではそのキャラクターに向かっていく感じになりそうです。
――いよいよニューイングランド音楽院の修士課程を終え、次はヨーロッパに移るとか。今後はどのようなピアニストになりたいと考えていますか?
吉見:ドイツのハンブルク音楽演劇大学へ行って、ロシアのアンナ・ヴィニツカヤ先生に習う予定です。コルサンティア先生はジョージア出身ですが、ロシア、ソヴィエトの流れを受けています。ダン・タイ・ソン先生もモスクワで長く勉強されていたことを思うと、僕もずっとソヴィエト系、ロシア系の先生に習ってきたといえます。
正直にいうと「こんなピアニストになりたい」と思って、ずっとピアノを弾いてきたわけではありません。もちろん、演奏会の機会はありがたいですし、お客様の前で弾いてこそ、芸術家であると思います。たくさんのお客さんの前で、いろいろな音楽を届けたいという気持ちもあります。ただ、まずは好きな音楽を突き詰めていけたらという気持ちが第一にあることはずっと前から変わっていません。この先に何が待っているのかは、まだ分かりません。これまでとは違う文化に囲まれる中で、謙虚に自分と向き合って新しい側面を見つけられたら、それで良いんじゃないかと思っています。
(取材・文:小室敬幸)
「吉見友貴 ピアノ・リサイタル」は、8月21日東京・浜離宮朝日ホール、8月22日愛知・電気文化会館 ザ・コンサートホール、8月29日山口・周東文化会館(パストラルホール)にて開催。
