イエモン・吉井和哉の闘病とステージ復活までの3年間『みらいのうた』東京国際映画祭に公式出品決定 公開は12.5に
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■吉井和哉
2022年の1月に長年の仕事のパートナーで事務所の社長でもある青木氏から、「特にゴールを決めずに密着カメラを回してみませんか?」との提案があった。前年のイエローモンキーの活動にも足を引っ張られた「新型コロナウィルス」も終息しかけたこの時期、次のソロアルバムのテーマも朧げであったため、その提案されたドキュメンタリーにBGM的な曲を付けたサントラ盤のようなアルバムができれば良いのではないかと思い、青木氏が以前から交流のあった監督兼カメラマンの宮地くんを紹介していただいた。
その当時の吉井和哉のドキュメンタリーなんて誰も興味がないだろうと思いながらも、自分をこの世界に導いてくれた人たちのところに宮地君を連れて行き、カメラは回り始めた。その中に、自分をこの世界に導いてくれた、兄のような存在である、“ERO“こと高林英彦氏がいた。
彼は2021年に脳梗塞に襲われ、生活が不自由になってしまったばかりだった。60歳を過ぎて独り身で、生活することも困難であったため、ドキュメンタリーの軸になってもらい、少しでも生活の足しになればと思い、出演者として撮影の許可をもらった。自分の師のような存在でもあり、良くも悪くもカリスマ性のあるキャラクターだったので、彼を通して吉井和哉のことが少しでも炙り出されれば良いと思った。
その後のストーリーは、まるで神様から与えられたような人間同士の出会いや繋がりと「ROCK」という危険物の取り扱い方について学びながら、人生に訪れる「使命」というギフトを受け取る瞬間を捉えていただく作品になった。そして、このドキュメンタリーを撮影し始める少し前に完成していた「みらいのうた」がこの映画のタイトルになり、主題歌になりました。
この作品を世に残すことができたこと、そして全ての出会いに感謝を。
■エリザベス宮地(監督)
「みらいのうた」の撮影が始まったのは2022年4月。吉井さんと二人で、吉井さんの故郷・静岡を訪ねる一泊二日の旅からスタートしました。
幼少期に釣りをしていた防波堤や、就職していた喫茶店の跡地、地元の同級生のご自宅やお墓を巡り、最後に訪れたのがEROさんの家でした。30年以上暮らしているその家は、カントリー調の家具や装飾で統一されとてもおしゃれでありながら、PCもなくWi-Fiも繋がっていないこともあってか、どこか時が止まったような雰囲気が漂っていました。
約40年前、EROさんがボーカルを務める自身のバンドにベーシストとして吉井さんを誘ったことから、吉井さんのバンドマンとしての人生は始まりました。しかし撮影を始めた当時、吉井さんは声帯ポリープでライブ活動ができず、EROさんも脳梗塞の後遺症で半身不随となり、ギターを抱えることさえできない状態でした。
「二人が再びステージに立つまでを並行して記録しよう」と思ったのは、はじめてEROさんの家を訪ねた帰り道です。しかし、撮影を始めて半年後、吉井さんに喉頭癌が見つかりました。ステージまでの距離は、想像よりも遥かに遠いものでした。「みらいのうた」は、二人がそれぞれのステージに再び立つまでの3年間を記録したドキュメンタリー映画です。
そして今回、本作が12月の全国公開に先駆けて、東京国際映画祭への正式出品が決定しました。歴史ある映画祭に選んでいただけたことを、大変光栄に思います。日本のロックンローラー二人の人生と音楽、そして彼らの言葉が、国内外の観客にどのように届くのか、心から楽しみにしています。
■市山尚三(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
何も背景を知らず、ミュージシャンに密着した音楽ドキュメンタリーだろう、と思って見始めた私は、すぐに自分の不明を恥じることになりました。人生の終盤に差し掛かった一人の男性の壮絶な闘いの記録である「みらいのうた」は、音楽ファンにとどまらず、全ての人の心に突き刺さる作品だと思います。
そして、吉井和哉さんをここまでとらえられたことは、エリザベス宮地監督のドキュメンタリー作家としての力を証明するものだと思います。この作品が東京国際映画祭を起点として世界に広がることを期待します。