梶裕貴&雨宮天&村瀬歩が語った『七つの大罪』への思い 8年の積み重ねで「今のメリオダスにたどり着けた」
■8年の積み重ねがあったからこそ親になれた
――親になったキャラクターを演じる梶さんと雨宮さん。お二人にとって両親とはどんな存在でしたか?
梶:子どもの頃はある種の憧れがありました。特に同じ男だからということもあってか、父親は子どもの頃の自分にとっては「正解」、そして「超えなきゃいけない存在」だったような気がします。
どちらかというとポジティブな気持ちだったのに、思春期になると「父親のああいうところはマネしたくない」という気持ち強くなってきて。ただ、社会に出ていろいろと経験していく中で、無意識のうちに「やっぱり父親と似ているんだな」と思うことも増えてきていますね。それは尊敬していた部分だけでなく、マネしたくないと思っていたことも含めて(笑)。
村瀬:やっぱり、DNAってすごいですね。
梶:本当にね。あんなにも「自分は違う、そうはならない」って思っていたのに。ただ、そうやって似ていることをただ「嫌だ」と思うのではなく、受け入れてどうするのか、と考えることが大事な気もします。
雨宮天
雨宮:私も「両親を超えてやる!」って思っていました。いわゆる反抗期の頃は「両親を黙らせるぞ」くらい激しい気持ちを持っていたし、父親とは口げんかもたくさんしました。
口論の途中からは内容どうこうではなく、もう声量勝負になっていましたね。そのおかげで発声が鍛えられたのかもしれません(笑)。さすがにもう声量勝負の口げんかはしませんが、あの頃に両親とけんかしたことで、いろいろな面で強くなれた気もします。
――なんと…! 今の雨宮さんを作る原点ですね。
雨宮:そんな反骨精神むきだしの人間なので、エリザベスを演じるのはすごく大変だったんですよ! 自分の性格的にも、経験的にも、彼女の「母性」をどうやって表現すればいいのか分からなくて。
でも、これまで『七つの大罪』を通じて、エリザベスと一緒に「母性って何だろう」と考えてきた積み重ねと歩みがあったから、親になった彼女を演じられたと思います。きっと積み重ねが今の半分くらいだったら、子どもができてからの「母性」を表現できなかったんじゃないかな。
村瀬:ママ上の顔や表情からも優しさを感じましたが、声が加わったことでより彼女のスーパー母性が伝わってますよ! 作品の中では描かれていなくても、トリスタンとパパ上がうまくいっていないときはママ上が寄り添って、二人を包んでくれた絵が見えたんです。(アニメ『七つの大罪』シリーズが展開されてきた)8年の積み重ねは、本当に大きいと思いました。
雨宮:そう思ってもらえてうれしいです(笑)。『劇場版 七つの大罪 光に呪われし者たち』のとき、梶さんも私のセリフから「母性を感じた」と言ってくれたことがありました。あのときの梶さんの言葉が、エリザベスを演じる自信になっています。
梶裕貴
梶:心からそう感じたんだよ。伝えてよかったです。改めて物語の始まりから、欠けることなく演じる機会をいただけたからこそ、今、親になった彼らを形にできた気がするよね。
『七つの大罪』のアフレコが始まった頃は、僕たちも読者の皆さんと同じく、キャラクターそれぞれの真実を深くは知らない状態だったんですよ。なぜメリオダスがあんなに強くて、なぜエリザベスにあそこまで強い愛情を持っているのか、とか。当時は自分自身の年齢も、声優としてのキャリアもまだ浅かったこともあり、今思えば、どこか少し背伸びをしてメリオダスを表現していたような気がしますね。アニメシリーズ約8年間の積み重ねがあったからこそ、今のメリオダスにたどり着けたと感じています。
――キャラクターから教えてもらうことって、たくさんあるんですね。
村瀬:めちゃくちゃあります。本作でもたくさんのことを教えてもらえる気がします。
Netflix映画『七つの大罪 怨嗟のエジンバラ』前編:独占配信中、後編:2023年8月独占配信。