『この世界の片隅に』“カープ女子”になったすずが“地続き”の理由
呉市や広島市に行くと、実際にその“地続き”感が肌に迫ってくる。戦艦大和を作っていた呉海軍工廠の一部は今なお造船所として現役であるし、街のあちこちには戦争の傷痕を残すものがある。筆者は広島県東部の出身だが、亡き祖父は戦時中、ドラマでも言及されていた呉の海軍病院に入院していた。周辺に住む人間にとっては、“フィクション”では済まされない感情がどうしても起こってしまう。
奇しくも放送開始とともに、舞台となった広島県は西日本豪雨という大きな災害に見舞われる。特に呉は土砂災害だけでなくJR線、道路ともに分断され、未だその爪痕は大きい。ドラマの中で、広島に行くたびにすずたちが乗っていたJR呉線の全線復旧は、来年1月の見通しだという。
最終回の現代パートでそれらの現実にも触れていたこと、そして最後の「負けなさんな、広島」の言葉は、そういった現実に対する創り手スタッフたちの最大限の配慮であり、エールであったように思う。
最後に。ラストシーン、MAZDA Zoom‐Zoom スタジアム広島で、広島東洋カープ戦を応援する、すずらしき女性の後ろ姿が映るというラストシーンに驚いた視聴者が多かったようだ。映画版の片渕須直監督が舞台挨拶の際に発した「すずさんがご存命ならカープの応援をしているに違いない」という言葉を思い出させるこの場面は、ドラマ版スタッフから、映画版へのラブレターとも捉えられる。
そもそも広島東洋カープは、原爆で焼け野原となった広島市において“復興のシンボル”として創設された経緯を持つ。12球団の中で唯一“市民球団”なのはそのためだ。そういう意味では、全く違和感がないどころかむしろ“ありえる”設定なのだ。
過去から現在へ、ドラマというフィクションから現実へ。ドラマ『この世界の片隅に』が果たしたかったのは、それらを“繋ぐ”ことではなかっただろうか。1クール、共にすずたちの日常と非日常に寄り添った今、そう思うのだ。(文・川口有紀)