『私の家政夫ナギサさん』『凪のお暇』 「毒親」を描くドラマが増えている理由
■母娘の息苦しい関係に 新たな風を吹き込むナギサさんの存在
さて、これらの作品における「毒親」像に比べると、『私の家政夫ナギサさん』のメイの母親は、少しマイルドな印象だろうか。
自身が仕事を続けていたかったのに、専業主婦にならざるを得なかったことから、娘にバリバリ仕事することを求める母。その一方で、自分は専業主婦でありつつ、家事はまるでダメであるコンプレックスから、娘には「やればできる子」を繰り返し、自分にはできないことも求めて追い込んでいく。
毒親には「自分ができたことは子どもも出来て当たり前」と思うタイプと、「自分ができないことを子どもには成し遂げてほしい」と願うタイプなど、さまざまなタイプがいるが、メイの母の場合は厄介なことにその両方が矛盾して共存しているわけだ。
そんな母の期待に応えたくて頑張ってきたメイと、理想の娘になれず、学生結婚をして勘当された妹と。それぞれに母との確執がある。しかし、メイたち姉妹を縛りつける母親自身を第3話(7月21日放送)で解放してくれたのが、ナギサさんだった。
メイが倒れてしまったとき、「できるところだけでなく、できないところも見てあげてください」と伝え、何をしてあげたら良いかわからずにいる母に対して、苦手な料理に付き添い、フォローもする。
さらに、うまくいかず「やっぱり家事は向いていない」と投げ出そうとすると、「お母さんにしかできないこともあるんです。何もできなくても良いんです」と伝えてくれるのだ。
ナギサさんに励まされながら作った母の料理の味付けは上手くなくとも、メイにとっては格別の味だ。そして、メイの母がまた、ずっと欲しかったものも、この「できない自分」を肯定してくれる言葉だったのではないか。
家のこと、家族のことは、家族にしかわからない。その一方で、家の中で滞り、長年蓄積されていった淀(よど)みは、当事者同士ではなかなか解消できず、外からの別の空気が必要になることもあるのかもしれない。
「家政夫」という第三者が介入することで、家の中で溜まりに溜まった淀みがほんの少し解消され、新しい空気が生まれてくる――そんなことを感じさせる「毒親」へのアプローチだった。(文:田幸和歌子)