没後40年、ランディ・ローズがスクリーンに 監督来日「稀代のギタリストを多くの人に知ってもらいたい」
――映画の構成として、多くの時間がクワイエット・ライオット時代のランディの映像や話でした。
レリス監督:意図的にクワイエット・ライオット時代を長くして、オジー時代を短くしようとしたわけではないんです。もともとクワイエット・ライオット時代の方が活動期間は長かったですし、フッテージ映像も多かった。あの時代の音楽の権利もクリアになっていたということが大きいです。一方で、オジーと組んでからのランディの資料や映像は、ほぼオズボーン家がコントロールしているものであり、今回の映画では、その許諾を頂けなかったということもあります。本来であれば、もう少しオジー時代のものもフィーチャーしたかったのですが、それは叶いませんでした。でもいま考えると、今回の構成の方が、より真実のランディを捉えることができたのかなと思っています。
――オジーサイドから許諾が下りなかったということですが、製作は難航したのでしょうか?
レリス監督:とても大変でした。オズボーン家はもちろん、ローズ家からの協力も頂けませんでした。こちら側は、例えば「所有権の一部を譲りますから一緒に組むのはどうでしょうか」という提案や「コントリビューターとしてクレジットします」というお話もさせていただいたのですが、うまくいきませんでした。それにまつわる大きな障害もありました。正直やめてしまおうかなと何度も思った時期もありましたし、作ってしまったところでどうなってしまうんだろうという心配もありました。でもランディの功績を一部の人だけではなく、多くの人に知ってもらいたいという思いが強かったんです。
――ナレーションはL.A.ガンズのトレイシー・ガンズが務めていますね。
レリス監督:このドキュメンタリー映画を作っていくなかで、フッテージ映像を調べたのですが、いろいろなトリビュート公演やショーで、必ず彼が関わっているんです。インタビューを読んでも「日常でなにか決断することがあるとき、いつもランディだったらどうするだろうということを念頭に置いて物事を考えているんだ」と書かれていたり。ご自身も著名なギタリストである人物が、そういった気持ちを持っているというのは、作品の代表として代弁していただくのには最適だと思ったんです。こちらからアプローチしたら、即答で「OK」と言ってくれました。
――1982年に『Diary of a Madman』を携えて初来日したオジー・オズボーン。本来ならランディがギタリストとして来日していたと考えると、40年のときを経て、日本のファンの前に…と感慨深いものがあると思いますが。
レリス監督:僕がランディの功績を語り継ぐ……というような立場の人間ではないので、あまりそのことに関しては偉そうなことを言う資格はないと思っています。もともと僕がこの映画を作らなくても、日本ではランディのことは今後もずっと語り継がれていくと思うので。ただ、こうしてランディを好きな人が映画館に集まってくれることはとてもエキサイティングなことですし、不思議な感覚になります。
映画『ランディ・ローズ』は公開中。