宮舘涼太、水上恒司のアメとムチに困惑!? 「お互いがキャッチャーなんです」初共演でも信頼感
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――本木監督とは『映画 少年たち』(2019)以来2度目の現場でしたね。
宮舘:『映画 少年たち』の時は大人数の現場だったので深くお話できなかったのですが、今回は、衣装合わせやヘアメイク合わせの段階から緻密なコミュニケーションを取らせていただきました。「北斗は不思議な子なんだよね」という監督の言葉に、「それは大体わかります」と答えたやり取りから始まり(笑)、どう不思議さを表現し、物語を進めるキーパーソンの役割を担うのか。撮影中も合間に打ち合わせを重ねられたのは大きかったです。
宮舘涼太
――水上さんは、今回初めての本木組で学んだことはありましたか?
水上:役者が現場に持ち込むものが作品を動かすこともあれば、「いらない」と切り捨てられることもある。今回の現場はその両方でした。現場ごとに求められるものが違うし、以前通用したやり方が別の現場では不要になることもある。だからこそ、その場の空気を嗅ぎ分けて対応する必要があると痛感しました。
経験則から生まれる「自分のやりたいこと」が通じないこともあります。そこで新しいものをどれだけ生み出すことができるか。改めて課題を突きつけられた現場でした。
――主人公の雄司は周囲の変化に翻弄される“受け身”の役でした。演じる上で難しさはありましたか?
水上:難しかったです。雄司は“キャッチャー”だと思っているんです。いろんな投手からボールを受けるように、相手からの感情や言葉をひたすら受け止める。ボールを落としてしまうこともあれば、拾ってアウトにできることもある。その連続なんです。
映画『火喰鳥を、喰う』場面写真 (C)2025「火喰鳥を、喰う」製作委員会
ただ、僕は「分かりやすいものをいかに疑うか」ということを20代のうちは大事にしていて。雄司も分かりやすい部分がある役ですが、それを疑いながら演じる難しさがありました。物語を動かすのは僕ではなく、矢印を投げかけてくる人たち。その矢印をどう受け止めるかで物語が形作られる。だからこそ、宮舘さん次第だなと感じました。
宮舘:本当に「生きるも死ぬも僕次第」だという覚悟を持ちました。水上くんが言ったように、ボールを投げるのは僕。そのボールを受け取ってもらえるのか、落とされるのか。投げないことには始まらないので、説得力を持って北斗として物語を動かせるかどうかが課題でした。その点については監督ともたくさん話し合い、演技面でたくさん学ばせていただいた現場でした。