『麒麟がくる』長谷川博己、「上の人にズバっと言う」明智光秀は“新しいヒーロー”

長谷川博己主演で明智光秀(十兵衛)の半生を描く、第59作目のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。本能寺の変を起こした人物として、さまざまな諸説がある光秀について、長谷川は「観る人によってイメージが違うと思うので、賛否があると思う」と前置きし、「演じる怖さもあるけど、何かが起きるという楽しみが強い」とほほ笑む。演じることで気付いた光秀の人物像を「もしかしたら今の時代に必要な新しいヒーローなのかもしれない」と語るその心理とは?
【写真】長谷川博己が新しい明智光秀を演じる『麒麟がくる』第1話フォト集
■広大なオープンセットで演じられることに「幸せを感じる」
大河ドラマ『麒麟がくる』第1話より(C)NHK
明智光秀の前半生にスポットを当て、その生涯を軸として、戦国時代を彩った名だたる英傑たちの生きざまを描く今作。人気の高い戦国時代を初めて4Kでフル撮影するのも見どころだろう。
大河ドラマで主演を務める心境について長谷川は「一人のキャラクターを1年を通じて演じることはすごいこと」と興奮した様子で明かし、「撮影は大変ですが、広大な場所に建てたオープンセットで朝日を見ながら素晴らしい経験をさせていただき、幸せを感じています」と頬を緩ませる。朝日を狙うロケで2時起きが続いたため早起きになったそうで、「朝は得意ではなかったので、当時の武将らしくなっているかもしれない」と笑う。
主演として現場に立ち、「全体を見通さないといけない」という意識が強くなったという長谷川。「僕は座長らしいことは得意ではなく、基本的には役に入り込みたいタイプなので、なかなか責任が重い」と吐露するも、「主役は周りからいろいろなものを受け、もらったボールを回すように次に渡していく。なだらかにやらないといけないと感じています。とはいえ、主役から見る景色はなかなか気分がいいです」と白い歯を見せる。
■「本能寺の変」は忘れて
(C)NHK
大河ドラマでは度々戦国時代が描かれ、これまで多くの役者が光秀を演じてきた。中でも長谷川は『国盗り物語』(1973)の総集編や『黄金の日日』(1978)を観て、「当時は俳優さんが朗々とやられていて、あのときは舞台の演劇を見ているようでした。そのムードで演じるのもいいかなと、惹(ひ)かれる気持ちもありながら、今の人たちにも楽しんでもらえるにはどういうものがいいのかを考えながら、“令和の戦国大河ドラマ”を作っていきたい」と意気込む。
脚本は、第29作『太平記』を手がけた池端俊策が担当。光秀を演じるにあたり、資料や本を読みリサーチするも、調べれば調べるほど分からなくなってきたという長谷川は、池端の脚本の中での明智光秀像を作ろうと決めたという。
池端から「本能寺の変を起こした光秀から逆算して考えないでほしい」と言われたと明かし、「信長に反旗を翻した、ということを忘れて臨んだ方がしっくりきて。自分の美濃という国を守りたい、血筋を大事にしたいという思いが根本にある一人の青年として物語も始まります。光秀が有能な人間だからこそ、命により敵国の視察に行かされるなど、さまざまな困難を強いられ、その経験が知将と呼ばれる人間を作っていった。やがて美濃から出て世界を広げて行き、守りたいものも大きくなって行く。それは今の人たちも変わらず、共感して見てもらえる部分ではないかと思います」。