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スタローンの『ランボー』が完結 “終わらない戦争を生きる男”の終着点

映画

映画『ランボー ラスト・ブラッド』場面写真
映画『ランボー ラスト・ブラッド』場面写真(C) 2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC.

 6月はずっと『ランボー ラスト・ブラッド』のことを考えていた。より厳密には日本公開が待ちきれず、昨年12月に北米版ブルーレイを輸入して以来ずっと同作のことを考えている。こうもランボーに頭を占拠されることになるとは思ってもみなかったが、それもこれも10年ぶりのシリーズ最新作にしておそらく最終作が、どうにもこうにも変わった映画だったからだ。どこかに…というか、全編を通して至るところに、何か心に引っかかるものがある。その引っかかりがいったい何だったのか、この原稿では考えてみたい。その上で本編のネタを割らないわけにはいかないので、まだ映画をご覧になっていない方は、いまのうちにぜひ劇場に足を運んでから読んでいただきたい。

【写真】スタローンの代表作『ランボー』37年の歴史を振り返るメモリアルフォト集

 映画館から帰られたところだと思うので、話を始めたい。『ランボー』シリーズを映画ジャンルのどこに位置づけるかと聞かれたら、おそらく多くの人がアクション映画!と答えることと思う。第2作『怒りの脱出』や、続く『怒りのアフガン』を考えれば確かにそれは間違っていない。スーパーヒーロー、ジョン・ランボーが戦場に殴り込みをかけ、並みいる敵をバッタバッタとなぎ倒す。観客はそのさまを目の当たりにして大いに溜飲を下げる。ランボーは概ねいつでも我慢に我慢を重ねて、いつでもクライマックスで壮絶な暴力をさく裂させる。

 82年の第1作『ランボー』は主人公がつらい目に遭い、ヤケクソで大暴れした挙句、結局はショボショボと退場する。そんな物語だった。これはかつてのアメリカン・ニューシネマによく見られた構造ではあるけれども、田舎町でいじめられたランボーがいよいよ逆襲に転じる瞬間にははっきりとしたカタルシスがあったものだ。何かしらの危機があり、また主人公がそれを打破して観客がスッキリする。それがアクション・ジャンルに求められる要素であるとすれば、最初の『ランボー』も間違いなくアクション映画ではあった。

シリーズ第1作『ランボー』 写真提供:AFLO
 あるいは前作『ランボー/最後の戦場』もそうだ。あの映画で、還暦を過ぎたジョン・ランボーは個人的にピンチに追い詰められることは実はなかった。幾人かの登場人物が繰り広げるドラマをどこか遠いところから見ていて、彼らの絶対的な危機にふと現れ、信じられない暴力をふるって事態を解決する。ランボーは主人公のようでそうではない、もはやそれ以上の、何か神のような存在になってしまった。そのことが『最後の戦場』をどこか異様な作品にしていた。とはいえランボーが我慢を溜めに溜めた末、とうとう鬼神のごとき大活躍を見せて、観ているこちらが大満足する…という意味ではまだ『最後の戦場』も、いわゆるアクション映画の範ちゅうにギリギリ収まるものであったとは思う。

シリーズ第4作『ランボー 最後の戦場』 写真提供:AFLO
 そこへ来ての『ラスト・ブラッド』だ。30数年にわたる彷徨(ほうこう)の末、『最後の戦場』のエンディングでやっとアメリカの実家に帰ったランボー。長い長い戦いにこれでようやく決着がつき、その心に負った深い傷もおそらく多少は癒えたのかもしれない。そう思った。

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