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ビジュアルから読み解く『TENET テネット』 クリストファー・ノーランの大胆な賭けと勝利

映画

◆ノーランが偉大な先人たちと共有する過度なCG表現へのアンチテーゼ

 もちろん100年以上にわたる映画史において、ノーランが『テネット』で挑んだような逆回転の映像アプローチには先行者がいる。有名なところでは『詩人の血』(32)『美女と野獣』(46)のフランス人監督(詩人でもあり作家の)ジャン・コクトーが挙げられるだろう。正像の中に逆転撮影のモーションショットを忍ばせることで、コクトーは自作にファジーな幻想感覚を漂わせてきた。ノーランとは趣向の違いや、時代的な技術の制限はあるにせよ、彼もまた実カメラから得られる撮像トリックを、創造的パーソナリティーへと昇華させていった重要人物のひとりだ。

 しかもその手法は思想として受け継がれ、後年、そんなコクトーのカメラ内におけるトリック撮影を継受し、再生させた者もいる。『ゴッドファーザー』(72)、『地獄の黙示録』(79)のフランシス・フォード・コッポラは、1992年の『ドラキュラ』で同じアプローチをとり、先人へのオマージュと、ハリウッドの行き過ぎたVFX依存へのアンチな姿勢を示している(もっともコッポラの場合、物語の時代に撮影技術を合わせた意図もあるが)。ノーランもまた、これら偉大なる先輩と同じイデオロギーを共有しているといっていいだろう。

 加えてノーランのこのような取り組みは、自身が主導しフィルムプリントでのリバイバル上映をおこなった『2001年宇宙の旅』(68)の特殊撮影アプローチに通底するものがある。同作において監督のスタンリー・キューブリックは、合成処理を極力避け、多重露出でひとつのコマに複数の画像を重ねるなど、カメラ内で効果を生み出すことに細心の注意をはらっていた。長年ワーナー・ブラザースを創造のパートナーとする共通点を持ち、キューブリックの信奉者として名高いノーランだけに、同作で65mmという大型フィルムを扱った氏のスタイルには、尋常ならざるシンパシーを感じていたに違いない。

◆ノーラン作品の“時間へのこだわり”が示すもの

 ここまで記すと、ノーランが毎作ごとに示している「時間」へのこだわりは、むしろ自分のビジュアル表現への追求を正当化させるための、便宜的な手段とも思えてくる。本末転倒ではないが、軍事上の撤退作戦を描いた前作『ダンケルク』(17)における、スパン(時間間隔)の異なる三者の視点を切り替えながら進行していく構成を思い出してほしい。三者が一点においてシンクロする箇所のみ高揚をもたらすものの、全体の緊張を持続させる効果があったかと言えば、むしろ寸断ぎみだった印象を受ける。今回も視覚上のインパクトを優先したことで、科学的な矛盾や齟齬(そご)などが生じている部分もあり、議論は活発化するだろう。

◆大胆な賭けに勝利したノーランと『TENET テネット』の価値

 なにより冒頭で言及した視覚表現の約束事は、表現域の広いCGIショットに比べると構図や動きに制限を与えてしまい、新鮮なイメージの提供という点では不利であることも否めない。それを打開する一助として、ノーランは巡行VS逆行時間の対立を可視化し、ケレン味に乏しくなりがちな写実重点主義にアクセントをもたらし、結果として今回、その大胆な賭けに勝利したといっていいだろう。巨大なスクリーンの前に身を置くと、ライブを主体としたビジュアルが見せるイメージの数々に、われわれは理屈を超越した圧倒的興奮を覚える。

 だがそれ以上に、かつてはインデペンデントの土壌で創意工夫を重ね、同時に先達の意思を継受しながら映画を作ってきたクリストファー・ノーランの、“フィルムメイカー”としての立脚点を改めて認識させられた。『TENET テネット』に価値を見出すとしたら、自分はそこに尽きるのだ。(文・尾崎一男)

※1 IndieWire「‘Tenet’ Has Under 300 VFX Shots: Nolan Says ‘It’s Lower Than Most Romantic Comedies’」(2020年8月6日掲載)
※2 『Newsweek日本版』(CCCメディアハウス)2005年6月22日号特集「バットマンの新たな旅立ち」より

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すべて“本物”!映画『TENET テネット』特別映像(撮影舞台裏編)

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