15億人が同時体験 収益140億円 実際すごかった『ボヘミアン・ラプソディ』“ライブ・エイド”
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希代のボーカリストにして天性のパフォーマー、フレディ・マーキュリーを擁した伝説的ロック・バンド、クイーンの軌跡を、彼らの多彩な大ヒット曲満載で描いた『ボヘミアン・ラプソディ』。観客動員数940万人超え、興行収入130億円という爆発的ヒットを記録し、2018年の日本国内No.1ヒット作となった同作が今夜、「金曜ロードショー」(日本テレビ系/毎週金曜21時)枠にて本編ノーカットで地上波初放送となる。クライマックスでは、20世紀最大のチャリティ・コンサート“ライブ・エイド”での圧倒的なステージが再現されるが、その実際の背景を知れば、作品の興奮がより高まるはず。世界的なインパクトを与え、音楽史に残る大イベントとなったライブ・エイドとは、そもそも何だったのか?
【写真】伝説のイベント“ライブ・エイド”が蘇る 映画『ボヘミアン・ラプソディ』場面写真より
■15億人が同時体験したライブ たった1回で収益140億円!
映画『ボヘミアン・ラプソディ』クライマックスを飾る“ライブ・エイド”シーン 写真提供:AFLO
1985年7月13日(現地時間)、イギリスのウェンブリー・スタジアムとアメリカのJFKスタジアムにそれぞれ7万人以上を収容し、デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、U2、マドンナ、ポール・マッカートニー、このために再結成したレッド・ツェッペリンなど、大物・人気者ばかり70組以上のアーティストが次々に登場、12時間以上に渡って行われたチャリティ・コンサートがライブ・エイドだ。
今でこそ“全世界同時中継”は珍しいものではなくなったが、劇中でも「(ロサンゼルス)オリンピックでも(衛星は)3機しか使われなかった」と紹介される通り、当時としては最新技術。計84ヵ国の衛星同時生中継(録画放送を含めると140ヵ国以上で放送されたと言われる)を実現し、全世界15億人のライブ同時体験は、まさに前代未聞、革新的なものとなった。
たった1日で4000万ポンド(当時のレートで約140億円)にのぼった収益も大きなインパクトを放つが、注目すべきは、このチャリティ・イベントが企業主導ではなく、1人の青年の提唱で生まれたことだ。映画にも登場するボブ・ゲルドフ(アイルランドのパンク・バンド“ブームタウン・ラッツ”のリーダー)がテレビでエチオピア飢餓の映像を見たことを発端に、イギリスの有名ミュージシャンが参加したチャリティ・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」が生まれ、その思いが、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが発起人となった、アメリカのミュージシャンによる「ウィ・アー・ザ・ワールド」に引き継がれる。そして、ボブは、そのレコーディングの場でライブ・エイドの構想を提案するのだ。
■“オワコン”だったクイーンが大復活
実際のライブ・エイド(1985)、クイーンのパフォーマンス (C)Zeta Image
ボブ決死の出演交渉・説得によって、数々のアーティストはライブ・エイド出演を承諾するのだが、その時、クイーンはどうだったのか。
劇中では「断ると翌朝から一生後悔する」と出演を即決するが、実際には、一律20分しかない出演時間を理由に当初は及び腰だったという。当時アパルトヘイト政策を行っていた南アフリカで公演を実施したことによる国際的な批判や、新たな才能の台頭によって人気が凋(ちょう)落し、バンド内の士気も低下。解散するといううわさがつきまとった。“クイーンは終わった”と思われていたのだ。
だが、フタを開けてみれば、クイーンはこん身のパフォーマンスを披露。出番はトリとは到底言えない時間帯だったが、“クイーン目当てで来場したわけではない”観客までも巻き込み、満場の10万人を大合唱させ、熱狂に包んだ。終わってみれば「出演者中最も素晴しいショー」との大絶賛によって、一気にロック・バンドとしての自信と評価を取り戻し、クイーンは再び音楽シーンの最前線に躍り出たのだった。