吉高由里子、“伝えたい”“話したい”と思うことは「私の一番の性(さが)」
――この『しらふ』という作品と向き合って、改めて感じたことや気づきなどがありましたら教えてください。
吉高:私はもともと読書が苦手なんですね。こういう本を作る時って、何回も原稿のチェックをするじゃないですか、それが辛すぎて(笑)。「なんで作るって言っちゃったんだろう」「やめようかな」って思うくらい辛かったのが一番最初に出てきました(笑)。
でも、1年を通して3回くらい読み直したんですけど、こんなにも自分が変わっていくのかっていうくらい、1年前の自分と今の自分で思考回路というか、1つの漢字に対して最初に飛び出してくるイメージが変わっていたりしました。でも変わらないところはまったく変わらないし…。他人を見ているような、この感覚で一緒に歩いていたはずなのになって思ったけれど、自分を通り過ぎたら他人になってしまったような感覚が、不思議でしたね。
あとは、本を好きな人って何回も読むけど、その時期に読んでいた自分と重なり合うものがあるから何回も繰り返し読むのかなとか、そういう感覚が面白いから読むのかなとか、最初に読んだ時の自分と変わっていくのも楽しみの1つであるのかなとか、本を読むということの面白さには、自分が今まで想像したことのない違ったベクトルの発想があるのかもと感じたことも面白かったです。
――本書の中には素敵な表現がいっぱい出てきます。読書は苦手とのお話でしたが、そうした表現はどこから来るものなのでしょうか?
吉高:気になる言葉を辞書で調べるのは好きでしたね。「その言葉って何?」って人に聞いたりすることも好きだし。10代のころに小っちゃい辞書をもらったことがあって、それをバスに乗りながらよく見ていたことを思い出しました。
でも、音で覚えちゃっているから、よく全然違う言葉を言ったりしてるんですよ。「自分のことをタライに上げないでよ!」って言っちゃったり(笑)。
――出来上がった『しらふ』を手に取ってみて、どんなことを思われますか?
吉高:これを読んでいただいて、どういう人って思われるのかなぁって。もう楽しみにするしかないですよね。
こういうことでもないと、その時の自分の感性って忘れていくものだし残せないものだと思うので、恥ずかしい気持ちはありますけど、60歳、70歳になった時に、この本を出版できたことを感謝する経験になっていればいいなって思います。