ソロデビュー35周年・渡辺美奈代、「できる限り続けたい」アイドルでいることにこだわる思い
おニャン子クラブに会員番号29番で加入し、絶大な人気を誇った渡辺美奈代。結婚、出産を経て、現在は2児の母としてSNSで発信する手作りのお弁当や料理、ファッションが注目を集めるほか、自身のYouTubeチャンネルでもライフスタイルを公開し、同性からの支持や共感を得ている。28日に52歳の誕生日を迎えた渡辺に、“生涯アイドル宣言”の思いを聞いた。
【写真】母そしてアイドルとして――美しく輝き続ける渡辺美奈代 撮り下ろしカット
■大変だった芸能生活と学業の両立 デビュー当時を振り返る
――今年ソロデビュー35周年ですが、当時のことを振り返って覚えていることは?
渡辺:おニャン子クラブは、きちんと学校に通うというルールがあったので、芸能活動と学校との両立が一番大変でした。毎朝学校に行って、最後のお掃除までして走って移動して。夕方5時ギリギリにフジテレビに着いたら、すぐに着替えてたまにスッピンで『夕やけニャンニャン』の生放送に出るみたいな…。番組はお仕事というよりクラブ活動という感じで楽しんでいましたが、放送後におニャン子の活動だけでなく、ソロでも3ヵ月に1度のサイクルでリリースがあったので、朝までレコーディングや撮影をして、いったん帰ってお風呂入って、制服着て、すぐ学校に行くという毎日。睡眠時間も授業中の数時間くらいでしたが、若かったからどうにかできたんです(笑)。
――おニャン子加入の翌年1986年7月に「瞳に約束」でソロデビュー。いきなり日本武道館に1万人を集めてデビューイベントを行いましたが、プレッシャーとか戸惑いはありませんでしたか。
渡辺:それが何も考えてなかったんですよね。イベント当日も学校のテストを受けてから、制服のまま武道館に急いで行って、リハーサルもほどほどにみたいな感じでしたから。準備も考える時間もなく、敷かれたレールを外れないようにするだけでした。
――それではご自身で「こんなことやりたい」という意見を言ったり、ほかのメンバーを意識することはなかったですか?
渡辺:それはなかったですね。ソロでいただいた曲にはちょっと刺激が強い楽曲もありましたが、「私にはこういう曲が合うと思われているんだ」と受け入れていた部分もあり、ある意味満足していたんだと思います。あとほかのメンバーの活動を意識する時間もなかったというのが正直なところです。
おニャン子は同年代の女の子だけのグループだったので、よく「大変だったでしょ?」と聞かれます(笑)。もちろんみんな良いライバルではありましたけど、そうした気持ちがなければ、おニャン子があれほど注目されることもなかったのかなと。おニャン子があったからメンバーと出会えたし、今私がこうしていられるのですごく感謝をしています。