ポール・マッカートニー、ビートルズにとってオノ・ヨーコの存在は「職場への干渉」だった
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ポール・マッカートニーがビートルズについて振り返り、ジョン・レノンが妻オノ・ヨーコをスタジオに招くようになったのが「変化の時期」だったと語った。Peopleが報じた。
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ポールは、彼自身がホストを務めるポッドキャスト『McCartney: A Life in Lyrics(原題)』の最新エピソードで、オノ・ヨーコに関する当時のバントメンバーの気持ちを明かした。
ポールによると、「変化の時期」とは『ホワイト・アルバム』の通称で知られる1968年のアルバム『ザ・ビートルズ』を収録している時期のことだったそう。
「ジョンとヨーコが一緒になり、必然的にグループの関係性にも影響を与えることになった」「レコーデイングセッションの真っ最中にヨーコが現れるというようなことに、対処しなくちゃいけなくなったんだ。ジョンが望めばそれが通る。断る筋合いはなかった」
ヨーコの存在を歓迎していたかというと、そうではなかったそうだ。「邪魔なものは邪魔なんだ」と振り返り、こう語る。「大騒ぎしたくなくてヨーコを迎え入れた。それでも、その状況をとりわけ気に入っていたメンバーはいなかったと思う。職場への干渉だった。僕らには僕らのやり方があって、長くそうやってきた。だから、対立するのではなくて、気持ちを押さえこんで受け入れたんだ」
そのうえでポールは、「これこそビートルズの何たるかだった。端的に言えばこれが『僕たちの仕事』だった。僕たちの生活の一部だったんだ」とコメント。「僕たちはビートルズで、つまりツアーをしていないときはレコーディングをする。レコーディングをするということは、音楽を作るということだった」と明かし、スタジオで過ごす時間も、つまるところ仕事の一部だったと明かしている。ビートルズはその後1970年に解散した。
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