永瀬廉主演『よめぼく』、三木孝浩監督インタビュー到着「もともと彼(永瀬)の声がすごく好きだった」
撮影は2023年9~10月、神戸を拠点にオールロケで行われた。三木にとって神戸の街は撮影で何度も訪れているお気に入りのロケ地。「神戸が素敵なのは、山あいに住宅街があって高低差もあるし、海も街もある。街がギュッと詰まっていて、いい意味で箱庭的にいろんなシチュエーションが撮影できるんです。ひとつひとつのディテールにデザイン性があって、美的センスが高い街だとも思います」
永瀬にとって約1ヵ月地方に泊まり込みでのロケは初。しかも意外なことに王道のラブストーリーも本作が初となる。「1ヵ月、映画に集中できる環境は嬉しいと本人もおっしゃっていましたね。東京での撮影だとどうしても他のお仕事と縫いながらやることも多いと思うので、今回は秋人というキャラクターに集中できて、ずっと秋人でいられたと」
2人のシーンは春奈の病室がメイン。現在は使われていない病棟を撮影用に貸し出してもらい、春奈の病室を1から美術&装飾部で作り込んだ。「病室が春奈の世界のすべてに見えるようにしたいなと。幼い頃から入退院を繰り返し、外部との接点をあまり持たずに生きてきた子なので、幼い部分もある。そのようなことを細かくスタッフと打ち合わせしながら丁寧に作っていってもらいました」病室の窓ももちろん本物で、後にそこから春奈が1人で花火を見るという重要なシーンもあったため、窓の大きさもポイントとなった。
「花火のシーンは原作も脚本も、秋人のやりきれなさをすごく感じた。本当のことを言いたいけど、言わずに過ごすことを決める。やるせないんだけど、それでもこの花火の時間を共有するという秋人の想いはうまく掬い取りたいなと思いました。撮影では電話越しのやり取りということもあって、2人の距離感は大事にしましたね。すぐ近くにいるのに会いに行けないという秋人の感情を、永瀬くんと丁寧に話し合いながら撮影していきました」
撮影中、永瀬と三木の会話が弾むことも多かったという。「永瀬くんは本来とても人懐っこい。普段は関西弁ですし、僕も四国出身で西寄りの人間なので、会話するのがすごく楽しかったし意思疎通がしやすかったなと思います。撮影中分からないことや疑問があると、ポイントポイントで質問してきてくれるし、秋人の感情の出し方のニュアンスについてはかなりディスカッションしました。分からないことははっきり聞いてきてくれるタイプで、それもやりやすかった点のひとつです」
一方、春奈としての出口の思いがけない芝居に驚かされたことも。秋人が春奈と綾香の間を取りもち、初めて綾香を病室に連れてくるというシークエンスで、綾香の顔を見るなり「ごめんね」と謝る春奈。「僕は久々の再会だしもう少したどたどしい感じで謝るのかなと思っていたら、むしろ先に(春奈が)泣いているくらいの勢いだった。その瞬間に春奈が綾香に会えなかった時間の重さを、出口さんがちゃんと表現してくれたなと思って”やられたな!”と思いました。出口さんはそれをロジカルに演じられたというよりは、春奈としての感覚で自然に出たという感じ。これを無意識にできるのはすごいなと」
初めて病院の外に出た2人が訪れるのが高校の文化祭、そして美しい海だ。三木作品に文化祭が登場することは非常に多いが、毎回そのクオリティの高さが絶妙。“素人の高校生が作り上げることのできる、ギリギリの高いライン”を保つ美術部には感服する。
「美術部さんには“もう文化祭は無理。これ以上アイディアがないです!”と言われながらも(笑)、毎回手を変え品を変え素敵な文化祭を作り出してもらっています。実際あの作り込まれた文化祭を見ると、役者さんたちのテンションも変わりますからね。今回は綾香主演の劇(『白雪姫』)もあったので、本当に大変だったと思いますが……」永瀬と出口は実際はかなり長尺で上演された『白雪姫』をリアルタイムで鑑賞し、綾香役の横田をはじめ役者陣はダンス練習もきっちりやって劇中劇に臨んだという徹底ぶり。「どうしても短めでやると嘘っぽくなってしまうので。だからこそ客席の2人の表情が引き出せたと思います」
文化祭の後に2人が向かった海は、神戸から足を伸ばし淡路島で撮影。「2人の真正面に夕日がくる海がほしくて、淡路島に決めました」しかし夕日のタイミングは当然ながら時間との勝負となる。「時間がない中、現場で全員がグッと集中するあの独特の雰囲気は、映画の醍醐味だなと思います。皆のギアが一気に上がるし、そこで映画のミラクルみたいな瞬間が撮れる。あのシーンはまさにそうでしたね」2人が共に見る最初で最後の海と夕日の美しさが、しっかりとカメラに焼き付けられた。
最後の瞬間まで作品に寄り添う主題歌「若者のすべて」は、“フジファブリック”の代表楽曲でもある名曲。「もともと大好きな楽曲でした。この作品の残す者、残される者という部分にもリンクするし、リアルストーリーで言うと、フジファブリックの志村正彦さんが29歳という若さで亡くなりましたが、彼の音楽はこれからもずっと残っていく。この曲にある切なさは確かにあるけど、彼の想いは時を経てこの先を生きていく人たちの糧になっていくと感じました。今回の映画で言うと、残された人間=綾香が2人のエモーションを引き継いでいくような感覚で、ピタっとはまった気がしたんです」(三木)
本作の音楽を担当した音楽プロデューサー・亀田誠治は、当初からこの名曲を女性ボーカルで歌うことを考えていたと言う。「亀田さんからヨルシカのsuisさんの名前が出た時は、絶対いいものになると確信しました。映画は春奈から秋人へのアンサーソング的な意味合いもあるし、残された綾香が2人から受け取った感情を考えると女性ボーカルの方がより伝わりやすいだろうと。劇中では2人が駆け上がる瞬間にこの曲を使い、最後は綾香の背中を後押しするような気持ちもある。それは視聴者の方にも伝えたかったことですが、秋人と春奈の生きている時間の輝きを見て、自分自身の生も1分1秒惜しまずまっとうしてほしい。その糧になるような楽曲になればいいなと思います」
そこには若い人たちだけでなく、人生のキャリアをそれなりに積んできた大人たちにも向けたメッセージが込められている。「自分もそうですが、年を重ねると自分の人生やこれから先のライフタイムについて考える感覚が鈍くなっていく。10代の時は生きることや人生について敏感だし、もっとセンシティブだった。生きるとはなんぞや?ということをよく考えていたように記憶しています。だから大人の方たちが思春期の2人がただただ懸命に命をまっとうしようとする姿を見たら、必ず何か感じるものはあると思う。むしろ年齢が上の方が、ドキッとするんじゃないかなと僕は思っています。漫然と生きるのではなく、ある種の期限を感じながら生きることの尊さはきっとあると思うので」
悲劇的な結末のはずが鑑賞後の気持ちが不思議と爽やかなのは、秋人と春奈が自分の運命から逃げず短い人生を“生き切った”からだろう。「僕は2人を“羨ましい”と思ってほしいなという気持ちです。振り返って自分の人生が幸せだったかどうかは、時間の長さではないと思う。だとしたらどういう生き方が幸せなのか?ということを、考えるきっかけにこの作品がなれたら嬉しいです」
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