江本純子×鈴木みのり、マイノリティが安心して観られる作品を目指して──『真夜中に寂しくなったときに観たい演劇』
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江本純子
――初演時には「レズビアンの人に観てほしい」とは明言されていませんでしたね。
江本:再演にあたって明確にしました。初演では、観客席にいるマジョリティに対して「マイノリティはこうなんだよ」と説明するような言葉やシーンがけっこうあったんですが、再演ではレズビアン用語も説明なく使っています。この劇世界の中ではレズビアンがレズビアンでいることが当然の社会として描いています。
――説明を省いて具体的な名称やエピソードが増えていますね。
江本:そうですね。たとえば「セックスしたい」とストレートに出しているシーンでは、初演では「ただヤリたい人にしか見えないかもしれない」から、なぜこの人にとってセックスが大事なのかを描こうとしていたんです。だけど本当に重要なことは、セックスをすることじゃなく、なににも阻まれずに欲を表現できる状態があるかどうかなんですよ……という説明を今回は省いています。
鈴木:異性愛が前提・規範になっている社会で、性的マイノリティである個人にとっての「セックスがしたい」は、実は社会的に不可視化されているからこそ脅かされている親密さや所属や安全をめぐる感情と深く結びついていて、自己形成や自己確認のプロセスだったりしますよね……それがどんなに下世話な、「ヤリたい」っていうストレートな「欲望」の言葉であっても。ただ、説明的であることが、マイノリティである観客にとって気づきや言語化の機会になる場合もありますよね?
江本:それは私もこの作品を作ったことで自覚しました。私自身は「恋をしたい」とか「レズビアンである」ということをガンガン言っていきたいのに、なぜか言っていなかった。「それを言いたいんだ」という欲求すらも阻まれている状況がストレスなんだということを、ずっと言語化できていなかったんです。阻まれている、というと他責に聞こえるかもしれないですが、「そもそも阻まれてると感じていることが妥当なのか」を考えるための事例さえ社会に見つけられないんだと気づいて、私は堂々とその社会のせいにするようにしています。
鈴木:性的マイノリティ、特に、人口1%以下と言われていてその実態調査もまだまだ進んでいないトランスである人々は、自分のありようが自分個別の問題なのか、社会的構造でそうなっているのかが、相対化して判断するのが難しいと思います。そうして自責に向かったり、場合によってはネオリベ的自己責任論に向かう傾向も少なくない。
江本:私の経験ですが、パートナーが手術室に入ることがありました。その時、ご家族が医師に私のことを「親戚です」と紹介したんですね。あまり気にしないでおこうと思ったんですが、頭で処理するより先に身体が反応してしまって、涙をこらえるような状態になっていたんです。彼女が無事に手術を終えるまで、私はほとんどそのことしか考えられなかった。
今作の中にも、同様の状況をフィクションとして描いたシーンがあります。それはマジョからすると、「なぜ彼女の命をまず気にしないで、自分のアイデンティティのことしか考えられないの?」と取られかねない。でも、本当は悲しんだり喜んだりしたいのに脅かされ、自分のアイデンティティを守ることを優先せざるを得ないくらい、マイノリティのアイデンティティをぐらぐら揺らしてくる社会がクソなんじゃないかって、私は言いたいんですよ。
鈴木:そう! 構造の問題! 親しい人の入院や、冠婚葬祭では、「家族」とか、ジェンダーとセクシュアリティをめぐる習慣が言葉のはしばしやお作法や決まりなんかで表れやすいですからね。だからまっすぐに悲しんだり心配したり、喜んだりするのではなく、複雑な感情や思考に陥るのだと思う。
江本:そうですね。そこで「大好きな彼女が死にそうなのに自分のアイデンティティのことを考える自分が嫌だ」となると自責になっちゃう。とはいえ、これは演劇なので。これまでのレズビアン映画にあるようなBury Your Gaysなどの悲劇のクリシェといった表象に抗いつつ、エンタメとして遊びつつ、私一人の身体でレズビアンの欲望をどう見せていくかを目指しています。
◆語れるクリエイターを増やしていくという課題
【公演概要】
舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」 ジュンコエモト『真夜中に寂しくなったときに観たい演劇』via Tokyo Metropolitan Theatre
10月16日~18日:東京・東京芸術劇場 シアターイースト
◆作・演出・出演
江本純子
◆音楽
山中透
◆美術
南志保
【公式サイト】https://autumnmeteorite.jp/ja/2026/program/junkoemoto