〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉Vol.4 映画史上最大の問題作『食人族』はなぜ生まれたか、その潮流を辿る
アートディレクター・映画ライターの高橋ヨシキによる連載〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉。第4回は、次々映し出される残酷描写とそのリアリティが世界に衝撃を与え、各国で上映禁止となるなど、現在もその内容が物議を醸し続ける問題作『食人族』(1980)を取り上げる。1983年に日本で初めて公開された際は意外にも大ヒットを記録した本作だが、その熱狂は突発的な出来事ではなく、振り返ればこうした作品の潮流は古くから存在していたことがわかる。映画史上最も野蛮なエンタメ作『食人族』が生まれるまでを辿る。
【写真】世界各国で上映禁止! 『食人族4Kリマスター無修正完全版』場面写真
■バートン・ホームズの「トラヴェローグ」、その後の「モンド映画」の誕生
「ハリウッド・トイズ&コスチュームズ」はハリウッドのど真ん中、チャイニーズ・シアターの並びにある衣装やウィッグの専門店で、70年の歴史を持つ。その横には以前「ハリウッド・ブック&ポスター」という映画専門店があって、ありとあらゆる映画のポスター、スチル、シナリオ、書籍が揃っていた。「ハリウッド・ブック&ポスター」は、タランティーノやジョン・ランディスはじめ著名な映画人が多く訪れることでも知られており、「Pops(父ちゃん)」の愛称で知られたオーナーのエリック・カイディンはタランティーノが所有するニュー・ビヴァリー・シネマで行われる「グラインドハウス・フィルム・フェスティバル」の共同創設者でもあった。
そのすぐ目の前の道路にバートン・ホームズの「星」がある。「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」の星型プレートのことだ。
バートン・ホームズ(1870ー1958) 写真提供:AFLO
バートン・ホームズは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した探検家・写真家で、「トラヴェローグ」(「紀行者」あるいは「紀行映画」の意)という言葉は彼の造語だ。北米や南米はもとより、ヨーロッパ、ロシア、インド、ビルマ、エチオピア、フィリピン、それに日本、韓国……ホームズは精力的に各地を飛び回り、写真を撮り、映画カメラを回して動画も記録した。彼が見聞したあれこれについて語る、スライドや映画の上映を伴った講演会には長蛇の列が出来た。バートン・ホームズが撮影した明治・大正期の貴重な写真は日本でも1970年代に出版されている(『日本幻景―総天然色 バートン・ホームズ写真集』『日露戦争―カラー・ドキュメント/バートン・ホームズ写真集』ほか)。
「紀行映画」、あるいは「民族誌映画(Ethnographic films)」の嚆矢(こうし)といえば、一般にロバート・フラハティ監督『極北のナヌーク』(1922)(*1)ということになろうが、バートン・ホームズの一連の「トラベル・ピクチャーズ」あるいは「トラヴェローグ」も同様に、のちの「モンド映画」(*2)へと繋がる源流の一つである。ただここで注意しなければならないのは、「モンド映画」という概念をグァルティエロ・ヤコペッティ監督が『世界残酷物語』(1962)で確立する以前、それこそ19世紀末から、エキゾチックな土地にカメラを持ち込み、コロニアリズム(*3)的な、あるいは博物誌的な視点で未知のカルチャーや「野蛮」をとらえた「映画」は数多く存在し、それが大人気を博してきたという事実である。
*1 カナダ北部に暮らすイヌイットの一家の生活を描いたサイレント映画。「ドキュメンタリー映画」の嚆矢とされるが、主人公一家が実際は家族ではないなど、演出された部分も数多い。とはいえ「ドキュメンタリー」の概念が時代によって大きく異なること、またどのような「ドキュメンタリー」であれ、そこには必ず一定の演出が介在していることは念頭に置く必要がある。
*2 センセーショナルでショッキングな映像が売りのドキュメンタリー(風)映画。見世物要素が高く「ヤラセ」も多いことで批判されたが、同時代性は高く記録映像としての価値もある。
*3 植民地主義。