【ドラマ考察】『ちょっとだけエスパー』親和性を増すこっちのけんとの主題歌<ネタバレあり>
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「ジャパニーズ・ヒーロードラマ」にして「SFラブロマンス」。この言葉が意味するところは、何になるのだろうか。大泉洋主演、野木亜紀子脚本で放送中のテレビ朝日系ドラマ『ちょっとだけエスパー』の第6話が、先月25日に放送された。ラスト、大泉演じる主人公の文太が、「ノナマーレ」の社長・兆(岡田将生)から「この姿は立体映像。私の実体は、2055年、30年後の未来にある」と驚きの事実を告げられた。すでに最終章手前のはずだが、まだまだ物語は広がりを見せ、同時に放送を重ねるごとに面白さを更新していてすごい。なぞも可能性もあまりに多く、語りたいことも山ほど。ここではどうにかポイントを絞って整理してみよう。どんどんドラマとの親和性を増している、こっちのけんとの歌う主題歌「わたくしごと」にも触れたい。
【写真】第6話ラストでは市松(北村匠海)にも驚きの展開が待ち受けていた
◆兆の正体は未来人で、四季の夫“ぶんちゃん”だった
文太たちに「世界を救うため」にと、“ちょっとだけエスパー”になれるEカプセルを渡した兆は、四季(宮崎あおい・「崎」は「たつさき」が正式表記)の混濁した記憶に現れる本当の夫“ぶんちゃん”だった。四季の記憶に、「小林ランドリー」とは異なる、別のクリーニング店で出会っていた、文人(ふみと)=ぶんちゃんとの出会いがよぎる。「HARMODIA」という会社もしくは研究所の社員証を持つ文人は、四季が「冷たくてつまらなそう」と感じた兆とは別人のような雰囲気をまとった男性だった。
文太が“ぶんちゃん”ではなく、文人だから“ぶんちゃん”。「兆さん?」と混乱する四季。これまであふれんばかりの(いや、あふれていました)かわいらしさで、文太だけでなく視聴者も魅了してきた四季の泣き叫ぶ姿に、胸が痛んだ。自分のボスが四季の呼びかける本当の“ぶんちゃん”だったと悟った文太の苦しさも、十二分すぎるほど伝わってくる。文太が「ノナマーレ」に乗り込んだのも当然だろう。そしてそこで、兆が未来人だと知ることに。文太の能力が、“触れる”ことによって発揮できるものだったことも効いていた。
思い起こせば、本作の空気は初回冒頭から、重く不穏なものだった。徐々に心の距離が近づいていく文太と四季の仮初夫婦の姿や、bit5のほんわかムードに、つい急に“コロコロコミックからアフタヌーン”の世界へと連れてこられたように思いがちであったが。
最初に見たのは、絶望の淵でビルの屋上に立つ文太だった。続くビルからの飛び降りを、VR映像と知らないこちらは、本当の光景のように思わされた。これまで話していたのが、実は立体映像の兆だったという事実も、「そうだったのか」と納得するしかない。だがVR映像に関しては、文太と目があった鳥に違和感があった。何か意味があるのだろうか。
さらに、物語がやり直し可能なGAME OVERからスタートしたことは、未来から“過去を改ざん”しようとしている兆の試みは、今回が初めてではなく、何度も挑戦していることを示唆している可能性もある。ひとつ疑問なのは、未来の市松博士が、過去の自分自身である大学生の市松(北村匠海)に協力を求めたように、データを2025年に送るだけでなく、実体として動く協力者も必要ではないかということ。たとえばちょっとしたことでは、Eカプセルを置くべき場所に用意するなど。ほかにも誰かいるのだろうか。
第6話には、Young3の1人・九条(向里祐香)の高校時代の親友・八柳(小島藤子)とのエピソードもあった。昔から優秀だった八柳は、薬学Aチームの一員となり、見たこともない(おそらく未来の)レシピからEカプセルを作るアルバイトをしていたのだが、ほかにもミッション遂行のアルバイトが大勢いたこと、薬学チームはもうひとつのBチームが残されていることが分かった。身元確認をしたのが九条だったことから、八柳も文太らのように孤独な状況に置かれた人だったことも伝わった。だが八柳が最後に九条へシトラスの香のメッセージを残した際に見えた、目元の赤い筋だったのかは分からない。
「自分は兆しを作っているだけだ。兆しさえ作れば、人は簡単に迷い込む」は、何にでも通ずる言葉だが、果たしてどう動いていくのだろう。

