【ドラマ考察】『ちょっとだけエスパー』親和性を増すこっちのけんとの主題歌<ネタバレあり>
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さて、本作の主題歌は、こっちのけんとの楽曲「わたくしごと」。伸びやかな歌声と、全体のキャッチーさが心地よく響く。この楽曲が、聴けば聴くほどあれこれ想像をめぐらせる歌詞になっている。そもそも“わたくし”とは誰なのか。「この世に僕がいないと誰か、困るのかなと、天井を見てた」の始まりに、文太の気持ちを歌っているようだが、捉え方によっては、1番は兆の気持ち、2番は文太の気持ちではないかとも感じさせる。
いずれにせよ共通して刺さってくるのが、「自分を変えても」「間違いでも」「守りたいだけ」というフレーズであり、第5話から続く、1万人と1000万人のトロッコ問題が浮かんでくる。10年後に亡くなる1万人の中に四季が含まれていて、その未来を変えるために兆は動いている。だが、その未来を変えると、結果的に1000万人が犠牲になると考えると、兆の行動が「間違いでも」「(四季を)守りたいだけ」につながるようにも思える。しかし、兆は本当に自分の大事な人のためだけに、舵を切る人間なのだろうか。どうもそう思うことができない。彼は、自分の愛を「ノナマーレ」にしても、本当に「世界を救うため」に動いているのではないだろうか。
四季の父や友達が“ぶんちゃん”を知らないことなどから、兆は、文人と四季が出会う以前の時間から新たな分岐を作っていこうと考えているのかとも最初は思ったが、現実に物体としてある“漬物石”を説明できない。そして、円寂(高畑淳子)と出会ったときに、四季が夫を失い心が壊れた状態だったことも。
第7話に向け、文太が2025年の文人を見つけ出したと思われる写真が公開されている。市松は命を取り留めたようだが、老化した半身がどうなっているのかは分からない。意図せずそうさせてしまった桜介(ディーン・フジオカ)も心配だ。予告編では四季が「この半年が消える」と話しており、さらに大きな転換を感じさせる。やはりカギを握っているのは、現段階で兆も市松も知らないという「白い男」(麿赤児)の存在か。そして文太が、兆の予測を超えた存在になってくれるのではないだろうか。(文・望月ふみ)
ドラマ『ちょっとだけエスパー』は、テレビ朝日系にて毎週火曜21時放送。

