<今夜金ロー>『ズートピア』公開から9年、「今」の日本から見た“動物たちの理想郷”の闇と希望
本日、金曜ロードショー(日本テレビ系)で放送されるディズニーアニメ映画『ズートピア』。明日には続編『ズートピア2』も公開を控えている。公開から来年で10年となる今、日本とズートピアを照らし合わせると、今だからこそ語りたいポイントが。理想郷・ズートピアは日本の“今”なのか、はたまた“未来”なのか、考えてみたい。
【写真】ポップでかわいい雰囲気なのに、社会派だった『ズートピア』写真で振り返り
■“島国”日本と、すべてを受け入れるズートピア
動物たちの理想郷とされる大都会“ズートピア”で、警察官のウサギ・ジュディと、詐欺師のキツネ・ニックがとある事件を解決するため奔走する本作は、かわいい動物たちの姿を模して、多様性とその裏に残り続ける差別や偏見がリアルに描き出されていることでも知られる。ズートピアの住人たちは、誰しもが他の種族を受け入れているようで、多かれ少なかれステレオタイプに囚われていることが描かれた。
田舎町から警察官になるためにズートピアへと“上京”したジュディが目にするのは、まさに多様性に配慮が行き届いた街並み。電車には大・中・小のドアが用意され、ゾウからネズミまでがそれぞれのサイズに合ったドアを快適に利用できる。水生動物なら水を浴びながら通勤が可能だし、ドリンク店より背の高いキリンに飲み物を渡すのも自動化されていて、小さな体の店員でも働ける。まさに、どんな動物も受け入れる街。ズートピアという街は、多民族国家であり、かつさまざまなジェンダーや見た目、考え方の人を受け入れるアメリカを映すよう。大型動物から小型動物、草食動物から肉食動物までさまざまな種族が一緒に暮らすズートピアに重なる。
映画『ズートピア』場面写真 写真提供:AFLO
一方で、我々日本人が暮らす環境はどうか。隣国から隔たれた島国で暮らし、基本的には周りには同じ日本語をしゃべる人しかいない。直接的に差別を受けるという経験をしたことがある人は、おそらく他の国に比べれば少ないだろう。そんな日本人にとって、ズートピアは公開当時“別の国”の話だったかもしれない。

