鈴木亮平、演技の振れ幅を生む「声」 頭(ヘッド)がどれもハマり役!
日本版ロバート・デ・ニーロと呼ばれるなど、かねて役柄ごとに、驚くほどに体重を増減させて役に挑む俳優・鈴木亮平が、ここに来て、その高い演技力とカリスマ性を改めて発揮し、注目を集めている。公開がスタートしたばかりの『孤狼の血 LEVEL2』、放送中の日曜劇場『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』(TBS系/毎週日曜21時)、そして10月に公開予定の『燃えよ剣』では、いずれも組織の頭(ヘッド)的ポジションを演じており、どれもがハマり役。しかし、それぞれの役の毛色は全く異なるもの。その振れ幅を生んでいる大きな要素が、“声”の芝居だ。
【写真】“悪魔”の男・上林を演じる鈴木亮平が超恐い 『孤狼の血 LEVEL2』より
◆腹の底からドスを利かせた“声”に瞬間フリーズ
柚月裕子の小説を原作に、東映ヤクザ映画の復活を高らかに宣言した前作。捜査のためなら違法行為もいとわぬ、ヤクザ以上に危険な刑事・大上章吾を演じた役所広司の圧倒的な存在感とけん引力が、観客を『孤狼の血』ワールドへとがっちりつかんで引きずり込んだ。大上と組む、広島大学出のインテリである新人刑事・日岡秀一を、繊細にしかしきっちり演じて見せた、松坂桃李の変貌ぶりも評判を集めた。
その続編であり、前作同様に監督を白石和彌が、そして主演は松坂桃李が背負った『孤狼の血 LEVEL2』は、完全オリジナルストーリーとして展開する。大上不在の中、しかし、ある意味前作とはまた別の魅力を備えた作品へフルスロットルで生まれ変わった『LEVEL2』では、まさに狼となった松坂が、太い幹となって最後まで観る者を離さない。そして鈴木が、『LEVEL2』成功への大きな一翼を担ってみせる。
五十子会上林組の組長・上林成浩を演じる鈴木。この上林がとにかく怖い。登場した瞬間から、その立ち居振る舞いで「あ、この人、ヤバい」とはっきり分かる。薄い眉の下で不気味に光る目も強烈だが、加えて狂気を潜ませるのが、腹の底からドスを利かせた“声”だ。後ろから声をかけられただけで、瞬間フリーズ間違いない。もちろん真正面から「外道どもがぁ~」なんてがなられたら泣くしかない。異常な熱を帯びた“声”を伴いながら、演技だと忘れさせるほどのパワーで「必ずその刑事(デカ)見つけ出して、地獄見せちゃるけえ」「日岡~!」と広島弁でうそぶきながら驚がくの“イっちゃった”言動を示していく。
上林は劇中で殺人を繰り返すが、その方法も「ヤクザといえば拳銃か日本刀だよね」とはならない。銃もぶっ放すが、さらに怖くて「ひーん」と泣きたくなるくらい残虐な殺し方も。後半、これは何映画だっけ? とジャンルを軽々と超えていく本作だが、この跳躍は、こちらもどんどんヤバくなる松坂ふんする日岡と共に、声まで異質な鈴木の上林が居てこそだ。
◆「大丈夫ですよ」の、ひと“声”に絶大な安心感
「こんなリーダーは絶対にイヤだ!」な上林とは真逆と言える、頼れるリーダーとして魅力を放っているのが『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』。ここでの鈴木ふんする救命救急医の喜多見幸太は、素晴らしくかっこいい。バスの事故現場でいきなり緊急手術をしてしまう第1話に始まり、患者ではなく、喜多見の命がいくつあっても足りないと思える無謀な行動や、無駄に披露される喜多見の肉体美など、「んな、ばかな!」という突っ込みどころは毎回ありながら、同時に、最後には感動して拍手してしまう現象が起きる。要はいつの間にか本ドラマにどっぷりとハマってしまうのだ。
喜多見が常人とは違う高い技術を持つのは間違いない。しかし、それ以上に喜多見を頼れる存在として位置付けているのが、いつも的確で優しく真摯(しんし)な“声”。手術中の周囲への指示も、かつてないほど早口に吐き出される専門用語のひと言ひと言(意味は分からないが)も、医療ドラマにおいて、これほどまでにきちんと聞き取れたことはあっただろうか。緊迫したシーンであっても、常に丁寧語なのも気持ちがいい。患者への声かけも同様である。正確に診断を下しつつ、同時に優しい声で患者を安心させる。「大丈夫ですよ」「もうちょっと頑張りましょうね」と。それは意識を失っている患者であっても、だ。あの声は、確実に患者に届いている――鈴木の声には、そう思わせる説得力がある。
単なる「ひとりのスーパー医師の活躍」に終始せず、チームとしての活躍も魅力の本ドラマ。TOKYO MERの解体という密命を持ち、はじめは敵対するも、喜多見に触発されて医師としての使命に目覚めていく医系技官の音羽尚(賀来賢人)をはじめ、ひとりひとりがこのチームを構成している、という力強さが丁寧に伝わってくる。先週放送の第7話からは、物語が後半戦に突入。稲森いずみ演じる公安刑事の月島しずか、城田優ふんするテロリストの椿という新たなキャラクターも登場し、かねてより謎だった喜多見の“空白の1年”がいよいよ明らかになっていく。