中川翔子、「しょこたんって、何の人?」の問いに悩んだ過去も…マルチに活動し続けた20年「全部があっての私」
歌手・タレント・声優・女優・イラストレーターなど幅広いジャンルで活動し、ブログ・SNS・YouTubeなど新しいメディアで発信し続ける中川翔子。デビュー20周年を記念して10年ぶりに発売した写真集『ミラクルミライ』(講談社) では“生きた証を残したい”という思いで、今まで以上に攻めたカットに挑み、重版も決定したほど話題に。そんな彼女に、これまで20年間の芸能生活を振り返るとともに、これからの“しょこたん”について話を聞いた。
【写真】“史上最高のしょこたん” 中川翔子、体重8kg減で臨んだ最新写真集から “今まで以上に攻めたカット”
「何度も辞めそうになった」 奇跡が起こり続けないと成し得なかった20年
――写真集『ミラクルミライ』(講談社)に、「昔と全然変わらない」「かわいすぎる」という声が続出しています。エイジレスの秘訣(ひけつ)を教えて下さい。
中川翔子デビュー20周年記念写真集『ミラクルミライ』(講談社)撮影/中村和孝
中川:自分ではわからないですが、20代のときよりも、今の方が美容液を重ねてパックして、温める美顔器を使うと、肌が柔らかくなることを実感できたり、腹筋したらくびれが出来たり、体が応えてくれるから、美容が楽しいんですよ。そもそもいつまでも若々しくて綺麗な憧れのレジェンドの方々は、スタイルがずっと変わらないんですよね。
私はおいしいものを食べるのが一番好きだし、気を抜くと太っちゃうんですが、今回写真集を出せるというミラクルをいただけたので、悔いが残らないように、デビュー当時の体重まで体を絞ったんです。女性は「もう何歳だし」と言われがちだし、言いがちですが、それはとてももったいないことだと私は思います。憧れの松田聖子さんも「年齢はただの数字です」とおっしゃっていましたが、恋をすること、新しいことを始めるのに遅いことはないし、逆に、後から取り返せるんですよね。それこそ“しょこたん”というあだ名をいただけたおかげで、何歳とかじゃなくて、キャラクターのような感じで呼んでもらえることもうれしいし。
中川翔子デビュー20周年記念写真集『ミラクルミライ』(講談社)撮影/中村和孝
――昔のご自身の写真集を意識されたところはありましたか。
中川:昔の写真集は恥ずかしくて見ていないんですが(笑)、10年前に『ギザ10』を出したときは10年後を考えるのも怖かったし、「しょこたん全開」という感じでやらせていただきました。その頃の私なら、ドレスとかヒールとか、似合わなかった気がしますね。20年は、奇跡が起こり続けないと成し得なかったこと。これまで何度も辞めそうになったときがあって、それでも辞めずに続けてきたら、20年目に「週刊ヤングマガジン」に帰ってくる奇跡が起きました。すごくありがたいですし、皆様のおかげです。
――辞めそうになったのは、どんな時期でしたか。
中川:たくさんありますよ。例えば、この仕事を始めたばかりの20年前。ネットも黎明(れいめい)期で、オタクが虐げられている時代だったから、アニメが好きみたいなことをちょっと言うだけでもクビ候補だったんです。そんな中、どうせ辞めるから生きた証を残そうと、「明るい遺書」のつもりで、当時まだブログという名前もなかった写真付きの日記を始めたんですね。そしたら、「私も好きです」って言う人がたくさん出てきて、好きなことを好きと言えることで、ようやく息を吸えるようになりました。
昨年も仕事のことで悩んで気持ちがしんどすぎて、それでも笑顔でやらなければいけないから、一回休もうかな、でも休んだらそこで終わると考えたんです。でも、そんなとき、松本隆さんの50周年記念コンサート『風街オデッセイ』で歌う機会があって。ご飯があまり食べられない状態で、ギリギリで振り絞って「綺麗ア・ラ・モード」という曲を歌ったら、「すっごい良かったよ」と耳打ちしていただけて。不思議と、ピンチになると神様が優しく言葉をくれることって、あるんですよ。
同じ頃にとあるラジオの生放送中にに松田聖子さんがサプライズでいらっしゃって、Diorの香水をくださり、「あなたにはたくさんの才能があるから楽しみにしている」って声をかけてくださって。人って本当に面白いですよね。みんな楽しいことだけじゃなくて、裏では大変な思いを抱えて生きているけど、ダイアモンドみたいに傷ついて、それを磨くからよりカラットが上がる、きらきらする。その瞬間が、人から見ると感じる何かになっているのかもしれないですね。