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柏原芳恵、出会いに恵まれた42年 中島みゆきとの「春なのに」レコーディング秘話語る

エンタメ

◆中島みゆき提供の「春なのに」で生まれた“歌の伝え方の広がり”



――今年デビュー42周年を迎えられましたが、振り返ってみるとどんな42年でしたか?

柏原:42年って言われて、“え!”ってなるくらいなんです(笑)。ボーっとしているのか、人ごとみたいに、「あぁ、そうなんですねー」って(笑)。

デビューのきっかけは『スター誕生!』なんですけど、何が起こっているのか分からないっていう感じの中で、気づいたらデビューだったんですね。とにかく芸能界のことを全く知らないから、上京してからは大人の方が敷いてくれたレールを遅れないように走って、必死についていくみたいな、そんなちょっとしたスポ根アニメ的な感じでした(笑)。だから今回DVDで当時の番組を観返してみて、“彼女頑張ってるねー”って感じたんだと思います。

――そんな中でターニングポイントを挙げるとすると、どんなことになりますか?

柏原:やっぱり出会いですかね。曲だったり人だったり、スタッフもそうですし…。私はデビューしてからエキスパートな方ばっかりに出会うことができたと思うんですね。レコード会社さんにもかわいがっていただいて、こういうアーティストが来るから見に行ったほうがいいよって連れて行っていただいたり、知らない世界を広げていただいたり…。そういうことを通して、私が知らないうちに周りからいっぱいいろんなことを教えていただいたと思います。


――中島みゆきさん提供の「春なのに」との出会いも大きかったのではないでしょうか。

柏原:“書いてくれるみたいだよ”ってディレクターさんからお話を聞いて、“えー!本当?”って。みゆきさんからデモテープを頂いたんですけど、なんとも胸キュンな作品で。当時は17歳で、先輩を送り出すっていう等身大の気持ちを歌った歌でしたし。うれしいというと軽いかな、感激というか感動というか、そんな感情でした。

「春なのに」はスタッフも力が入っていたものですから、リチャード・クレイダーマン・オーケストラの演奏でカラオケを録るためにヨーロッパへ行ったんですよ。私は連れて行ってもらえなかったんですけど(笑)。

当時は卒業ソングという意識はなかったですが、自分が大事に歌っていた曲がいろんなところで卒業ソングの定番として歌い継がれていくのは、皆さんが育ててくださっているようで本当にうれしいですね。

――当時は3ヵ月サイクルで新曲リリースもされて、想像できないくらいお忙しかったんじゃないでしょうか。

柏原:同時にアルバムも製作してというスケジュールで、お仕事が終わったらレコーディングという日々が続いていました。私のレコーディングは早いほうで、「ハロー・グッバイ」も3回くらい歌ってOKが出たんです。でも、自分の中ではもうちょっと世界観の表現を広げたいという思いも抱いていました。そんな中、「春なのに」のレコーディングスタジオにみゆきさんが来てくださって。練習している私の歌を聞いたみゆきさんから、「あぁ、高い声出るんですね。でもね…」ってアドバイスを頂いて、そこから歌の伝え方や誰かに伝えるということの世界観が広がったと思います。それからは、作品によって表現は違うけれども、自分の中で歌の世界が面白くなっていった感じですね。

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◆忘れられない天皇陛下のリサイタルご鑑賞

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