『シン・仮面ライダー』池松壮亮&森山未來、壮絶なラストバトルを語る「森山さんとじゃなかったら絶対やれなかった」
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――仮面ライダーと仮面ライダー第0号が対峙するラストシーンは、特に大きな反響があったと思いますが、撮影を振り返ってみていかがでしたでしょう。
池松:すごい試みだったと思います。もう殆ど事件です(笑)。この作品以外ではあり得ないものだったと思います。時間無制限、セリフはありますし、物語的な段取りはあるものの「はい、やってみましょう。映り込むカメラは後で消します」という言葉で始まって。ほとんどストリートファイトでした(笑)。15人ぐらいいたかな。カメラを抱えてみんなが周りから撮っているなか、森山さんとふたりだけの呼吸でおよそ3分間、ぎりぎりやり遂げたシーンでした。客観的に見れば面白い試みですが、良い子は真似しないでほしいですし、もう二度とやりたくありません(笑)。
池松壮亮
森山:ライダースーツがぴっちりしていて、皮膚呼吸ができない状態でしたからね。酸素が入ってこないなか、ランダムな泥仕合のようなアクションを提案されたので。あとから見ると、非常に生々しい映像になっていましたが、やっている僕らは取っ組み合っている状況だったので、どう映っているかなんてわからない(笑)。どっちがマウントをとっても成立するような感じなので、本当に僕らの呼吸だけでやった3分間でしたね。酸欠になりかけました。
――これまでにないような経験でしたか?
池松:ラストシーンに関してはずっと伏せてきたので、あまりしゃべらない方がいいのかもしれないですけれど。「すごいことをやりました」というのもちょっと違う気がする。ただ、2度とできないすさまじいことが映っているという事実があるだけです。それまで1ミリ単位で細かだったキャラクターの動きと、最後にあそこまで行き着くこと。それが庵野秀明作品ならではのことだと感じました。
森山:庵野監督も「こうしたい」ということではなく、ラスボス的な仮面ライダー第0号と、主人公の仮面ライダーの戦いというなかで、定型文みたいなものをどう打ち崩せるかを試行錯誤してあの形にたどりついたと思うんです。あのアクションシーンが、作品として残されたすべてなのですが「素晴らしいシーンになった」と手放しにほめるのも違うし、だからと言って「ダメ」だとも思っていない。その意味で、なかなか不思議な体験でしたね。
池松:庵野さんはよく「マーベルやDCの作品と同じ映画鑑賞料をとるのだから、どうやってこの作品を魅せればいいのか」ということを模索されていました。あらゆるアクション的な答えや、CGなどのテクノロジーをも排除して、最後は仮面ライダーを肉体に戻すという作戦は、庵野さんらしい答えの出し方だと思いました。庵野さんの『式日』という映画では、ラストシーンが3人の俳優さんのアドリブでした。何か起こるまでずっと待っているというとんでもないラストで、今でも頭に焼き付いています。僕と森山さんのシーンでは、ふとあのシーンを思い出しました。