國村隼、INI・尾崎匠海の芝居は「本当にストレートで素直」と称賛 初共演作『ドビュッシーが弾けるまで』に込めた思い語る
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スペシャルドラマ『ドビュッシーが弾けるまで』場面写真 (C)フジテレビ
実は二人は、取材のわずか数時間前に初めて顔を合わせたばかり。にもかかわらず、國村は「ずーっと一緒にいるような感覚になっています」と笑う。大阪出身の尾崎は、國村の関西弁を聞いて「なじみがある言葉が聞こえてきて、すごく仲良くなれるんじゃないかなとは思いました」と、距離の近さを感じていた。
ホン読みを終えたばかりという尾崎が「國村さんは引き出しがすごいので、全部吸収するつもりで本番に挑めたらなと思ってます」と先輩俳優への思いを語れば、一方の國村は尾崎について「こうしてやろう、ああしてやろう、という思惑だらけのお芝居とは全く真逆で、本当にストレートで素直」と評価。役者にとって「素直さ」は重要な要素かという問いには、こんな説明をする。
「自分が今どこにいるのか、自分の現在地を知ることから始めることが、たぶん僕らの仕事には一番大事で。素直なところから台本に入っていって、キャラクターをイメージする。ノウハウなんて要らないんです。この仕事、自分がどうしたいかやし、自分がどう感じるかやから」。
妻の死、喪失、後悔、夢を諦めることで止まってしまった時間――。作品が扱うのは決して軽くないテーマだが、そこに絶望はない。音楽という光が、ゆっくりと、けれどたしかに、ふたりの人生を照らしていく。
尾崎匠海
ところで、本作では、心をほぐし、時計を進めてくれる存在が音楽だが、それぞれに行き詰まった時、心をほぐしてくれる存在は?と問うと、尾崎はこう答える。
「僕はグループに入る前、自分の意見などをあまり言えないところがあったんです。でも、昔スタッフさんに悔しいことを言われたとき、それが逆に自分の中では『やってやるぞ』という燃料になって。悔しい思いや落ち込むことも、とらえ方次第で、前に進める推進力になるとそこで気づけたのは良い経験でした」。
悔しさをバネに変える。否定的な言葉をエネルギーに変える――若さゆえの、まっすぐな強さがそこにはあった。
國村隼
一方、國村の答えは対照的だ。
「僕の場合、能天気になることですかね。いろんなことを思い悩んで考え込んでしまうと、行き詰まってくるけど、なんで行き詰まっているのやろうと考えると、いらんこと考えているからや、と。そうすると、しばらく能天気で生きてみようとなるんです。たぶんもともとズボラな性格なんですね(笑)。この年齢まで生きてきて、こういうところは昔からあまり変わらんなと思います。そういういい加減なことが救いになっているのかもしれないな」。
また、聖夜に描かれるこの物語が持つ意味について、國村はこう話す。
「匠も喜一郎も時間が止まっている。しかも僕の役、時計屋なんですよ(笑)。人と人の思いやつながりには、時間というファクターを超えて、止まっていたものが動き出すような力があると思います。放送がクリスマスイブなんですけど、聖夜のイメージにふさわしく、亡くなった人への思いを馳せてみたり、止まっていた人同士の関係がいい形で動き出したりする作品になるんじゃないかな。それに、今の時代、すっきりしない思いや、社会的な閉塞感みたいなものを感じている方が多いと思うんです。そういう方々が、時間が止まった人間たちが音楽でつながり、音楽でほぐされ、時計の針を再び進め始めるこの物語を観て、ある種の希望を感じてもらえればと思います」。
尾崎もまた、現代の閉塞感について語った。
「今の時代、SNSで自分が好きなものだけを観られるようになっていって、どうしても視野や考えが狭くなっちゃっている気がしていて。でも、音楽の力や、世代の違う人同士の交流が描かれているこの作品は、自分の世界を広げてくれるきっかけになるんじゃないかと思います」。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。70歳の喜一郎が初めてピアノに触れるように、28歳の匠が再び夢に向かって歩き出すように。ドビュッシーの「月の光」が優しく響く聖夜に、誰かの心が少しでも動き出すきっかけになれば――。二人の俳優の言葉には、そんな願いが静かに込められていた。(取材・文:田幸和歌子 写真:高野広美)
スペシャルドラマ『ドビュッシーが弾けるまで』は、フジテレビ系にて12月24日22時放送。

