由紀さおり、「女優になりたい」という夢破れ歌手の道へ
名曲『夜明けのスキャット』で1969年にデビュー以降、50年以上にわたり、歌手、女優、タレントとして精力的に芸能活動を続ける由紀さおりが、『ブルーヘブンを君に』で映画初主演を務めた。「ステージは違っても、主人公・冬子の夢に向かって努力する姿にとても共感した」という由紀が、自身のキャリアを振り返りながら、本作に込めた思い、そして1日1日をかみしめて生きることの尊さを語った。
【写真】すてきオーラがあふれる由紀さおり
自然豊かな岐阜県西濃地区を舞台にした地方創生ムービー2.0プロジェクト第3弾となる本作は、世界初の青いバラ“ブルーヘブン”を生み出した岐阜県在住の園芸家・河本純子氏をモデルに、『クハナ!』などの秦建日子監督がオリジナルストーリーを創出し映画化した感動ドラマ。園芸家の鷺坂冬子(由紀)は、家族や仕事仲間、そして美しいバラたちに囲まれ、幸せな暮らしを謳歌(おうか)していた。だがある日、がんの再発により余命半年のステージ4と診断される。主治医から「しっかり治療に専念しよう、まだまだやり残したことがあるだろう?」と叱咤(しった)激励された冬子は、ふと、ある約束を思い出す。それは、「ハンググライダーで空を飛ぶ」という初恋の人と交わした約束だった。
●主役はあくまでも美しい「岐阜」
これまで数々の映画、ドラマに出演し、1983年には映画賞を総なめにした『家族ゲーム』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を獲得するなど、歌手だけでなく、女優としても高い評価を受けてきた由紀。それだけに、本作が映画初主演とは実に意外だった。これについて由紀は、「主演というより“軸”となる役をやらせていただいたという感じですね。なぜなら、岐阜の素晴らしさを伝えることがベースにあって、地域の皆さんと一緒に作品を作らせていただいたという気持ちが強いので、あくまでも主役は『岐阜』だと思っています」と、どこまでも謙虚。
そもそも2012年のぎふ清流国体で、由紀が天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)の前で『ふるさと』を歌ったことから縁がはじまり、秦監督が熱いラブコールを送ったことで実現した今回の企画。「たぶん、冬子がお茶目なキャラクターだったので、イメージに合ったのかもしれませんね(笑)。役づくりへのリクエストはほとんどなかったんですが、がんが再発して余命宣告されるけれど、病気であることをシリアスに表現せず、夢を追いかける姿に重きを置いてほしいとだけ言われました」と振り返る。「あとは、私自身の心がけですが、岐阜の自然がとても美しく、それが見事に映し出されているので、冬子として長年、そこにいるように、地元の人々と溶け合った風情でいることを大切にしました」。バラ園に佇み、土手道をウォーキングするその姿は、まぎれもなく岐阜育ちの冬子そのものだった。
●「女優になりたい」という夢破れ歌手の道へ
由紀さおりといえば、昭和を代表する歌手の一人。子どもの頃から童謡歌手として活躍し、その透明感あふれる歌唱力の高さは誰もが認めるところだが、意外にもその歴史は、「ある夢を実現できなかった」という挫折から始まっている。「実は私、お芝居が大好きだったので、『劇団俳優座』の養成所に入りたいという夢を秘かに抱いていたんです。ところが、私が入りたいと思ったその時期、千田是也先生(創設者の一人)が桐朋学園芸術短期大学に専攻科演劇専攻をお作りになっていて、研究生を一切取らなかったんですね。だから、歌謡曲の道へ進んだのは、実は夢が破れた中での決断だったんです」。
その後、作曲家のいずみたく氏と出会い、1969年、本名の安田章子から由紀さおりに改名、『夜明けのスキャット』で大人の歌手として本格デビューし、大ヒットを飛ばす。「あの頃は、デビューすることも、チャンスをいただくことも大変でしたが、ヒットしたらしたで、それを継続していくことがさらに大変でした。たまたま次の曲『手紙』が大ヒットしたおかげで、『なんとかやっていけるかも』と望みをつなぎましたが、1970年代に入ると、歌手が歌を歌うのは当たり前。それだけではすぐに飽きられてしまうので、司会をやったり、コントをやったり、それこそお芝居をしたり…いろんな側面を見せていかなければならなかった。私自身の好奇心もあったけれど、時代のニーズに応えていったところが大きかったかもしれません」。時勢によって磨かれていった由紀のマルチなタレント力。それがめぐりめぐって、憧れだった“女優”という道も開いてくれたのも、また運命かもしれない。