『愛の、がっこう。』神演出だった第6話を振り返る──タイトルに重なる砂浜の文字、名作を想起させる2人だけの“42分”
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海は、愛美にとって一度死を選んだ場所だった。第1話の冒頭で彼女が行っていた授業に登場した、石川啄木の短歌。「大といふ字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり」、つまり「大という字を100回砂に書いたら、死ぬことがバカらしくなって帰ってきた」という歌。この砂に字を書く、という動作がカヲルの“遠足の作文”を一緒に書く動作に重なり、シーンに繋がっていく。そう考えると今回、愛美が海に行って生きて帰って来られたのは間違いなくカヲルの存在があったからで、一度は死のうと思った場所が5年ぶりに愛した人と思いを交わした場所になったのである。
一方、カヲルにとっても海辺の砂浜は意味のある場所だった。昔親に連れて来られた時、夕方5時までそこに放置されていたカヲル。波打ち際を見ていれば時間が分かると彼は言ったが、それなら砂浜に文字を書いても、それがもうすぐに波にかき消されることが分かっていたはず。この世に形が残らない方法で、愛美にメッセージを書いたのも、改札で自分だけが振り返ったことの痛みを胸に感じながら、走って追いかけられなかったのも、カヲルなりの優しさだ。
『愛の、がっこう。』第6話場面写真 (C)フジテレビ
第5話ではカヲルが愛美の務める学校まで会いに行った場面で、学園の高い柵に手をかけ「ねえ、ここよじのぼってそっち行ったらいい?」というセリフがある。これも愛美を自分の側に来させないようにと、自ら住む世界を分とうとするカヲルの気持ちの表れだった。前回は柵の向こうで、今回は改札で、泣きそうな顔をするカヲルを演じるラウールの演技にこちらの涙も誘われる。しかし、カヲルにとっても最悪な場所だった砂浜を2人の力で楽しいものにした。その事実だけでも、かけがえのない宝なのだ。
そして砂浜に書かれた「先生、げんきでな。」という文言がタイトルの『愛の、がっこう。』と重なるのも見逃せない。“続ける”意味の読点、“終わらせる”意味の句点。その意味を考えると、がっこう(生徒と教師)の関係性は終わりを迎えるが、2人の愛は続く、とも読み取れるのではないだろうか。そうであってほしい。
■『高校教師』(1993)の“死のイメージ”が匂ってくる
しかし、第6話が1993年放送のドラマ『高校教師』(TBS系)を彷彿とさせる点で、少し不穏さもある2人の未来。野島伸司が脚本を手がけた同作の第5話「衝撃の一夜」では真田広之演じる主人公の教師が、桜井幸子演じるヒロインの女子生徒と北鎌倉に行き、2人の時間を過ごす。砂浜に文字を書くところもそうなのだが、有名な“死のイメージ”が香る『高校教師』のラストシーン(桜井幸子の肩に、真田広之が頭を乗せて寝るシーン)が、電車で愛美にラウールがもたれかかって寝るシーンとよく似ているのが怖いのだ。2人の今後の行方はどうなっていくのか。この死の匂いが、杞憂であってほしいと祈るばかりである。
(文:アナイス/ANAIS)
木曜劇場『愛の、がっこう。』は、フジテレビ系にて毎週木曜22時放送。
※記事初出時、ドラマの話数について誤った記載がありました。訂正し、お詫びいたします。