乃木坂46・齋藤飛鳥、アンダーメンバーから“グループの顔”まで 変わり続けた11年間
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2022年内でグループの活動を終了、31thシングル「ここにはないもの」の活動をもっての卒業を発表した乃木坂46の1期生・齋藤飛鳥。エースとして活躍する彼女は、アンダーメンバーから“グループの顔”へと上り詰めた苦労人として知られる。その勇姿を見られる時間も残りわずかとなった今、グループの歴代シングルをたよりに、“アイドル・齋藤飛鳥”の足跡をたどる。
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■アンダーメンバー時代につかみとった成長のチャンス
今や、エースとして活躍し、グループの“顔”として幅広く認知される齋藤。しかし、卒業や加入を繰り返しながら、多数のメンバーが歴史を築いてきた乃木坂46において、最も変化の大きかったメンバーと言っても過言ではない。
2011年8月、13歳で最年少の結成メンバーとして加入した齋藤は、今でこそセンターやシングル表題曲のフォーメーションで中心を担う「福神」メンバーの常連として知られる。しかし、加入前期は音楽番組への出演など、露出の機会を多く与えられる選抜メンバーではなく、アンダーメンバーとしての活動を中心にパフォーマンスを支えていた。
過去のリリース楽曲を振り返ると、10thシングル「何度目の青空か?」(2014年10月)までに、表題曲で選抜メンバー入りしたのはわずか3回。デビューシングル「ぐるぐるカーテン」(2012年2月)、4thシングル「制服のマネキン」(2012年12月)、7thシングル「バレッタ」(2013年11月)の3作品で、与えられたポジションは、いずれもフォーメーションの最後列にあたる3列目だった。
加入から3年以上にわたり、選抜メンバーとアンダーメンバーを行き来していた彼女だったが、6thシングル「ガールズルール」(2013年7月)のType-B盤に収録のアンダー楽曲「扇風機」でセンターをつかみ取った。
続く7thシングルで選抜メンバー入りを果たした当時、齋藤は自身のブログで「扇風機」での活動時に「いろんなチャンスをいただいて、少しでも早く成長する為にと活動してきました。色んな変化があった。乃木坂46も、私個人も」と振り返っている。彼女にとってこのセンター経験が、現在の礎にあったのは間違いない。