“ディズニーいち気持ち悪いヴィラン”フロロー判事はなぜ愛される? <『ノートルダムの鐘』今夜放送>
今夜21時より、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて放送されるディズニー映画『ノートルダムの鐘』。ヴィクトル・ユーゴーの原作をディズニーがミュージカル・アニメに仕立てた名作だ。1996年に公開された本作だが、ディズニーアニメファンからの評価はいまだにとても高い。その理由の1つに、本作のヴィラン・フロロー判事の存在がある。数々の“名悪役”を生んだディズニーのなかでもフロローが一線を画しているのは、その「気持ち悪さ」だ。フロローがなぜディズニーいちの“キモオジ”なのか、そして、そんなにキモいのになぜ根強くファンから愛されているのか、紐解いていこう。
【写真】初恋の相手にこの表情 気持ち悪すぎるディズニーヴィラン・フロロー
『ノートルダムの鐘』の舞台は15世紀末のパリ。ノートルダム大聖堂に幽閉されている鐘撞き男・カジモドは、赤ん坊のころに判事・フロローに引き取られ、20年間育てられてきた。街に出ることを禁じられていたカジモドはいつも街を見下ろし自由を夢見ている。その年の祭の日、カジモドは生まれて初めて聖堂を抜け出す。そして、美しいジプシーの踊り子・エスメラルダと出会い、愛や友情を知っていく。
■フロロー判事ってどんな人?
映画『ノートルダムの鐘』フロロー(C)1996 Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.
カジモドをノートルダムに幽閉していたのが、何を隠そうフロローである。フロローは彼の容姿を蔑み、“怪物”と呼んで人々から隠した。また彼はパリに散らばるジプシーたちを忌み嫌っており、根絶やしにするためには殺しも放火もいとわない残忍な性格だ。
ジプシーをそこまで憎むのは、フロローが敬虔(けいけん)なキリスト教徒だからだろう。異教徒を徹底的に排除しようとする彼は、信仰心の深い当時の人々のなかではいわゆる道徳者であり、人格者だったのだと思われる。フロローは“悪役”だが、おそらく自分がしていることを心から正しいと思っている、ディズニー作品では珍しいタイプのヴィランなのだ。
■ここがキモいよ! フロロー判事
フロローは、若い頃から熱心にマリア様に仕えてきたのだろう。赤ちゃんのカジモドを拾った時点で結構歳は取っていそうだったので、それから20年、劇中では少なくとも50歳は越えているだろうが、なんと劇中で出会うエスメラルダに“人生初”の恋をする。高潔なこの私が汚らわしいジプシーに恋をしてしまった…という罪の意識に苛まれた結果、フロローは「自分をたぶらかしたエスメラルダが全部悪い!」と結論を出す。そして恋もせず愛も知らずアラフィフになったフロローの中に、ジプシーに恋をするのはダメだけど罪なき人を殺すのはアリ、という、現代日本に生きる筆者には到底理解の及ばない激ヤバな宗教観が爆誕してしまうのだった。
映画『ノートルダムの鐘』エスメラルダ(C)1996 Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.
フロローは、精神的にもまさに“こじらせおじさん”で気持ち悪いが、それが行動にもしっかり現れてしまっている。特に「うっ」と来るのは、エスメラルダが大聖堂に逃げ込んだ時。聖堂内は“聖域”とされ、武力を行使することは禁止されている。つまりフロローは、大好きで憎いエスメラルダが手の届く場所にいるのに捕らえられないのだ。フロローはエスメラルダの耳元で「裏をかいたつもりかね? そうはさせんぞ」とささやいたかと思うと、思いっきり髪の匂いを嗅いで、エスメラルダの首にその指を這わせる。これ、子どもたちに見せていいやつなのだろうか…と心配になるレベルの気持ち悪さである。
さらに、エスメラルダへの慕情と自身の信心の間で葛藤するソロナンバー「地獄の炎」を歌い上げるシーンもなかなかだ。吹替版では劇団四季の村俊英が歌う、力強くも恐ろしくまさに炎が燃え上がるような名曲なのだが、フロローは歌いながら何をするかというと、エスメラルダのスカーフを取り出して愛おしそうに頬にすりすり。かと思えば、汚らわしいものを見るような目でスカーフを暖炉の炎に投げ入れる。おっさん、落ち着いてほしい。
挙句の果てに、エスメラルダを縛り民衆の前にさらして、いよいよ火あぶりにして処刑するというシーンでは、火を片手に「選ぶんだ、私か、死か」と迫る。生殺与奪の権を完全に握っての愛の告白(?)、やり口のエグさがまた気持ち悪い。