今ハリウッドが求める俳優ティモシー・シャラメの“魔法”――『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』で魅せた圧倒的な力
今夜、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』が金曜ロードショーで放映される。ジョニー・デップ主演で大ヒットを記録した『チャーリーとチョコレート工場』(2005)に続き、新たにウォンカ役に命を吹き込んだのは、ハリウッドきっての売れっ子ティモシー・シャラメだ。最新作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』で2年連続オスカーノミネートを果たすなど、その勢いはまさに飛ぶ鳥をも落とすほど。さらに最近はリアリティスターのカイリー・ジェンナーとの交際でも耳目を集め、ハリウッドでの注目度は増すばかりだ。そんなシャラメの煌(きら)めきが光る本作を振り返りながら、“レオナルド・ディカプリオの再来”と称され、ハリウッドを代表する存在へと成長を遂げた彼の活躍ぶりを改めておさらいしたい。
【写真】ティモシー・シャラメの魔法を写真で体感! 『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』フォトギャラリー
■“憂い”を封印し、“純粋”を武器にする
映画史において、特定のキャラクターが伝説のようになって、それを演じる後続の俳優にとって超えなければいけない壁になることがある。ロアルド・ダールの生み出した、ウィリー・ウォンカもその例外ではない。1971年、『夢のチョコレート工場』でジーン・ワイルダーが見せた狂気と紙一重の予測不能なカリスマ性。そして2005年、『チャーリーとチョコレート工場』でジョニー・デップが演じた、子どものような無邪気さと不気味さが同居するエキセントリックな像。それぞれの時代に、それぞれの名優が強い印象を残したこの役に、2023年、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』でティモシー・シャラメが挑んだ。そして、今までにない多幸感あふれる新たなウォンカ像を打ち出したのだ。
シャラメと聞いて、何となく浮かび上がるキーワードは「憂愁(メランコリー)」だった。特に初期の頃は、その瞳が何を映しているのか誰も知る由もないような、口角が上がっていても実際どんな感情なのか掴(つか)みきれない、モナリザの絵のような俳優だと思った。そんな彼が『君の名前で僕を呼んで』で痛々しいほどの繊細さを、『ビューティフル・ボーイ』では自滅的な脆さを、そして『DUNE/デューン』シリーズでは運命に翻弄される救世主の苦悩を見せてきた。やはりこれらの役において、彼は憂いを帯びていて、その瞳には常に、湿り気がある。
映画『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(2023)より 写真提供:AFLO
しかし、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』におけるティモシーは、その最大の武器であった「憂い」を封印し、ラディカルな楽観主義者となる。これまでの作品以上に、本作のウォンカはチョコレートで世界を変えられると信じて疑わない。この設定は、演技のトーンを一歩間違えれば、ただの「世間知らず」や「痛々しい夢想家」になりかねない危うさを孕(はら)んでいる。だが、シャラメの演技には観客を冷めさせない圧倒的な説得力があるのだ。
彼が劇中で見せる、母親との約束を信じる眼差しや、意地悪な宿屋の主人に対しても礼節を崩さない立ち振る舞い。そこには、演技で作られた笑顔ではなく、彼の内側から発光するような善性や純粋さがあふれている。皮肉な視線や嫌味を向ける者の武装を勝手に解いてしまうような、そういう恐ろしい魅力でその場を掌握するのだ。しかも、その瞳から湿り気がなくなっていないのが、またすごい。
『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』は夢と希望の話のようで(実際そうだが)、描かれていることは実は非常に世知辛いし、攻撃的だ。ショコラティエを潰すために、警察を操り、殺人さえいとわない者たちがこの映画における悪として登場する。街は優しげだが、みんなどこか計算高いし疲れている。社会が失いかけている、夢を追い続ける“純粋さ”をシャラメがウォンカというキャラクターを通して恥ずかしげもなく、堂々と体現してみせる。その立ち振る舞いこそ、魔法のようなのだ。

