清野菜名&松坂桃李、プレッシャーだった『耳をすませば』実写化 10年後の“雫&聖司”に込めた思いとは?
関連 :
――まっすぐに夢に向かっていた中学時代から、10年後の雫と聖司は、現実の壁にぶち当たり、もどかしい日々を過ごすこともあります。その変化は、とてもリアルだなと感じました。
清野:大人になると「これを言っておけば正解だろう」という答えを出す術を覚えてしまったり、「本音は違うのに」と思いながらも、なかなか自分の正直な気持ちを出せなくなってしまうこともありますよね。撮影当時、私は25歳で、劇中で描かれる10年後の雫は、まさに等身大とも言える年代。雫が感じている仕事に対する葛藤や悩みを、私も同じように抱えていました。だからこそすごく共感ができて、一心同体になれたような気がしています。当時の私の全力をぶつけて演じていたので、その熱量はその時にしか出せないもの。そう言った意味でも、自分にとってとても意味のある作品になったと感じています。
松坂:10年の間、雫と手紙のやり取りをしていても、聖司はその中に自分の弱さのようなものは書いていないだろうなという感じがしたんです。夢を目指して「イタリアで一人前になる」と決めて、その決意を崩さないように頑張っている。そこにも、彼の意地っ張りなところが出ている気がしています。やっぱり、大人になるにつれて壁にぶつかることもある。そのことによって、原作やアニメでも描かれてこなかった聖司の弱さが見えてくるんですが、それを彼は人に見せることができない。聖司の置かれている状況は難しいなとも思いましたし、とてもリアルに感じました。
――お二人は今、俳優さんとして大活躍されています。10年前を振り返った時に、どのように夢に向き合っていたと思いますか?
清野:10年前かぁ…。18歳の頃ですね。その頃はバイト三昧でした。バイト先から家までは、電車賃をケチって歩いて帰っていたんです。その間にオーディションのセリフを覚えたりしていました。でも全然オーディションも受からないし、そういったことが何年も続いていて。「どうしよう」「もうやめようかな」「もっと楽な生き方があるんじゃないかな」とすごく悩んでいました。そんな時に実家の母に相談すると、「私はそんなに軽い気持ちで東京に行かせたんじゃない。本当にやめたいと思う時まで、簡単にそんなことは口にしないで」と背中を押してくれましたね。それからは弱音を吐かず、「頑張ろう」と思えるようになりました。
――いつも背中を押してくれる清野さんのお母様は、雫にとっての聖司のようですね。
清野:本当にそう思います! このお仕事には波があるけれど、そのときにやめず、諦めないで続けてきたからこそ、今の私がある。継続するということは、生きていく上で大きな力になっていくんだなと感じています。夢をかなえられた秘訣があるとするならば、私にとっては野心と粘り強さかもしれません。
――松坂さんの10年前は、どのような思いでお仕事に臨んでいましたか。
松坂:僕の10年前は、朝ドラ『梅ちゃん先生』をやっていた頃です。朝ドラが決まったことを親に報告したところ、ものすごく喜んでくれた思い出があります。「お隣さんに話す!」と言っていました(笑)。それくらい朝ドラの影響力って絶大なんだなと思いましたし、ようやく認めてもらえたのかなとうれしい気持ちがしました。当時は年齢的にも先輩方とご一緒する機会も多く、朝ドラと並行して撮影していた『ツナグ』という作品では、樹木希林さんと共演させていただきました。希林さんのお芝居があまりにもすごすぎて、僕は何をどうしたらいいんだ、お芝居を向上させるためには何をすべきなんだ…と壁にぶち当たっていました。でもそういったときに支えになってくださったのも、希林さん。僕は本当に出会いに支えられているなと思います。
――では夢をかなえられた秘訣があるとすれば、出会いになりますか?
松坂:そう思います。『ツナグ』は、今回の『耳をすませば』でもご一緒させていただいた平川雄一朗監督、そして希林さんとも出会えた作品。また、朝ドラで共演させていただいた役者の先輩方との出会いも僕にとって大きなもので、出会いをつないでここまで歩んできたんだなと感じています。
(取材・文:成田おり枝 写真:高野広美)
映画『耳をすませば』は、10月14日より全国公開。