鶴見辰吾、優等生役に悩み引退も考えた10代 還暦を前に「目指すは元気なジジイ」
バレエ教室のウィルキンソン先生に才能を見出されたビリーは、先生や家族、地域の人々などたくさんの人に励まされながら、バレエの道へと突き進んでいく。12歳で俳優デビューを果たした鶴見だが、その道を進む上で自身を支えてくれた出会いや転機はあるだろうか?
「たくさんの方にアドバイスや励ましをいただいた」と切り出した鶴見は、「なかでもデビューの頃に同じ事務所だった、鈴木ヒロミツさんにはものすごく可愛がっていただいて。いつも『お前は最高だ』『カッコいいね』といろいろなことを褒めてくださった。ヒロミツさんは60歳で亡くなってしまったのですが、今年、僕も60歳になります。本当に恩義を感じている方ですね」と感謝。「そして『3年B組金八先生』の武田鉄矢さん。あのドラマがあったから、僕の名前が全国区になったというのもありますし、あそこで出会った仲間とは今も交流があっていつも応援してくれます。もう一人は山崎努さんです。18歳ぐらいの頃、『俳優を辞めようかな、どうしようかな』と悩んでいた時に、山田太一さん脚本のドラマ(早春スケッチブック)でご一緒して。『こんなに俳優業に対して命懸けでやっている人がいるんだ』というのを目の当たりにして、自分もこの道をしっかりと進んでいこうと思いました」と宝物のような出会いについて明かす。
鶴見が中学3年生の時に出演した『3年B組金八先生』第1シリーズでは、杉田かおる演じる同級生の浅井雪乃と恋に落ち、雪乃の妊娠・出産を経て、父親になる宮沢保役で、視聴者に衝撃と鮮烈な印象を残した。その後も順調にキャリアを重ねていた彼が「俳優を辞めようか」と悩んでいたのは、「10代の自分が抱いていた俳優像と現実とが、少し違っていた」からだという。
「1980年代はアイドル黄金期でアイドル映画も多く、ティーンエイジャーはすなわちアイドルみたいな時代でした。でも僕はやっぱり男の子なので、洋画のハードなアクション映画などを観ていて、そういう作品に出たかったんです」と苦笑い。「それでも実際は、青春ものの優等生のような役が多く、全然違う方向に行ってしまうような気がして。もちろん今ではそういった役も財産だと思っていますが、当時の僕はとても悩んでしまったんです。役者で食べていくのは大変だし、学校の仲間と同じように就職をして勤め人になるなら今だな…と考えている頃に出会ったのが、山崎努さん。そこで強烈に『自分もこういう役者になりたい』と思ってしまった。山崎さんは、僕の進路を決める上で大きな影響を与えてくれた方です」と心を込める。