『呪術廻戦』夏油 傑の“変化”は本当に闇落ちだったのか? 櫻井孝宏が語る静かな決意と痛み
――物語の中では、“揺らぎ”や“境界の崩壊”を通して、夏油が変わっていく様子が描かれます。そうした中で、特に印象に残っている場面や、心情の変化を感じたセリフがあれば教えてください。
櫻井:彼の中で揺らぎが始まる場面は、作中にいくつも点在しています。もともと夏油には、「呪術は非術師を守るためにある」という強い信念がありました。覚悟をもってその道を生きていたはずなんですが、天内理子の件をきっかけに、少しずつその軸が傾いていき、五条との関係も噛み合わなくなっていく。彼自身が、どこか疲れていくような描写が、物語の途中からじわじわと現れてきます。
印象的だったのは、たとえば灰原の死。その死を前にして、七海が「もうあの人一人で良くないですか」と言うセリフ。あるいは、伏黒甚爾との戦いの中で「恵まれたオマエらが呪術も使えねぇ俺みたいな猿に負けた」と言われたこと。さらに、九十九 由基の言葉が、結果として夏油の背中を押すような形になってしまったこと。そうした一つひとつの出来事や言葉が、彼の中で揺らぎのきっかけになっていったんだと思います。
決して、一つの要因で彼が変わったわけではありません。五条から見れば、夏油は“突然”まったく違う道に行ってしまったように見えたかもしれない。でも、夏油自身にとっては“徐々に”だったんです。その「徐々に」と「突然」の間にある段差のようなものが、彼らの認識の違いとして存在していると思います。
『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』場面カット(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会
ただ、夏油の根本的な考え方は、大きく変わっていないのではないかと感じています。弱いものを守りたいという気持ち、術師が守るべき存在とは誰なのかという問い……。そこには、むしろ彼なりの一貫した信念があるように思えるんです。だから、私自身は“闇落ち”という言葉をあまり使いたくありません。覚悟をもって生きてきた人が、選んだ先に違う生き方があった。ただそれだけのことだと、私は思っています。
五条に対して、群衆の中で「生き方は決めた」と伝えるシーンがありますが、あれこそが夏油の覚悟だったと思います。その後の二人の関係を決定づける、とても重要な場面でした。夏油の気持ちは、決して理解できないものではなく、自分が信じて進んできた道の先に、仲間の死や悲しみが積み重なっていく。そんな現実を前にしたとき、もうそれ以上は耐えられなかったのだろうと感じます。
「懐玉・玉折」を通して彼の物語をなぞることで、彼の中で何が重なり、何が崩れていったのか。その静かで複雑な変化が、より鮮明に見えてきたように思います。
『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』場面カット(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会
――あの別れの瞬間に込めた夏油の感情を、どのように受け止め、表現されましたか?
櫻井:あの場面で、夏油には“ここで殺されるかもしれない”という覚悟もあったと思います。ただ、その覚悟は、そもそも術師として生きることを選んだ時点で、すでに持っていたものでもあるとも感じていて。それでも、五条と真正面から袂を分かつような場面になる……。そういう覚悟も同時に持っていたんじゃないかと思います。
五条の言葉は、夏油の耳には届いているんですよ。でも、それが“心には響いていない”という感覚がありました。かつて夏油自身が語っていたことを、今度は五条が彼に向けて必死にぶつけてくる。でも、それはもう届かない。夏油は、すでに生き方を決めていて、その意思を伝えるために、わざわざ家入と五条のもとを訪れる。その行動そのものが、彼の覚悟の表れだったんだと思います。
あの場で夏油が告げた「生き方は決めた」という一言は、まさに彼の真実そのものだと感じました。傍から見れば、彼の選択は“間違っている”“良くない方向に進んでいる”と捉えられるかもしれません。けれど、夏油の中では、それもすべて織り込み済みなんです。そうしたすべてを受け入れた上での決断。それがあの静かな別れの場面に、静かだけど揺るぎのない力で表れていたと思います。