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吉井和哉「この作品を作ることは自分の使命だった」 『みらいのうた』へと導かれたドキュメンタリー映画に手応え

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THE YELLOW MONKEY

■過去がまるで未来のように進んでいって、波紋みたいに映画がどんどん完成していった

吉井和哉 写真:横山マサト
――「みらいのうた」は、吉井さんのお父様が亡くなって50年という機に作られた楽曲で、映画もご両親が出会った吉井さんの故郷・静岡から始まりますね。

吉井:静岡は最初の撮影でした。1泊2日で宮地くんに来てもらったんです。母親も、映画に出てくれた同級生の2人やERO、THE YELLOW MONKEYのメンバーも、今の吉井和哉をつないでくれている人たちで、そんな嘘のない関係性の場所を、宮地くんに撮ってほしかった。だからこそ、出来上がったものも嘘をついていないし、自然につながっているんだと思います。

――静岡のシーンでは、美しい海がとても印象的でした。

吉井:僕にとっては、あの場所は生まれた時から自分の中であるもので、照れくさい場所だったんです。昭和のヘルスセンターで旅芸人の父親が母親と出会って、その近くで僕は産湯に浸かった。目の前に海があるあの場所は、亡くなった父に会いたくて行ったんです。

映画『みらいのうた』場面写真 (C)2025「みらいのうた」製作委員会

――お父様のことは覚えていますか?

吉井:記憶も本当に数シーンしかなくて、ぼんやりと鮮明でもない映像としてしか残ってないんです。ただ、僕の父親は26歳で亡くなってるんです。26歳ってまだ…少年ですよね。実は母親も若かったんです。僕は母が20歳の時の子だから、今思えば子どもに育てられてるような感じなんですよね。母親は僕が物心ついた時にもう厳しい人になっていて、甘える人がもう70代の祖母しかいなかったですし。だから、自立は早かったかもしれない。学校を出てバイトすることも、それでいいよと思っていました。逆にそっちの方が楽しかったですしね。

そう考えると、あの場所で僕が生まれたっていうところから、もうこの映画は始まってるんですよね。EROとだってあの頃に出会っているし。撮影が始まった時は、そんなつもりは一切なかった。でも、過去がまるで未来のように進んでいって、波紋みたいに映画がどんどん完成していったんです。

映画『みらいのうた』場面写真 (C)2025「みらいのうた」製作委員会

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