吉井和哉「この作品を作ることは自分の使命だった」 『みらいのうた』へと導かれたドキュメンタリー映画に手応え
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吉井和哉 写真:横山マサト
――本作でチバユウスケさんのエピソードに触れられていたのも印象的でした。
吉井:なかなか会う機会がなかったから、もっと仲良くさせてもらえばよかったなって思いますね。音楽とかレコードの話とか、いっぱい共通点があったし、今もし連絡とか取っていたら話したりしてたかもしれないな…とかね。そういうのも悔やまれますね。彼はすごくかっこいい人だったから。
――チバさんと縁のある境遇だったと思いますが、チバさんを追悼した「オハラ☆ブレイク」(2024年9月28日)でのステージも収録されていますね。
吉井:あそこで宮地くんが撮影してTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやThe Birthdayのメンバーがフレームに収まってるのも、個人的には何かすごくいいシーンだなと思ってます。
――それと、がんの療養中ではありましたが、BiSHのラストシングル「Bye-Bye Show」、「ホテルニュートリノ」(※WOWOWドラマ『東京貧困女子。-貧困なんて他人事だと思ってた-』の主題歌)の制作もあり、吉井さんが忙しかったことも印象的でした。
吉井:そうなんですよね。だから、事務所の社長には言ってましたよ。「何で自分ががんになってから、こんなオファーが来るんだ」と(笑)。逆にそれもツキが回ってきたと思ったんですよね。
――BiSHの東京ドームでの解散ライブをご覧になっていた時は、吉井さんはどんなふうに感じてらっしゃいましたか?
吉井:自分たちの2001年1月8日の東京ドームの実質の解散ライブを思い出して、何度か胸に来るシーンはありましたね。演出的にも最後に「Bye-Bye Show」をやっていただいたり、珍しくメンバー全員であの場所にいて見たのも、自分の中で心に残っています。
映画『みらいのうた』場面写真 (C)2025「みらいのうた」製作委員会
――その後、THE YELLOW MONKEYも東京ドーム公演が2024年4月27日に控えていました。復活として位置づけられたこのライブを前に「祈ることしかできない」というファンの皆さんの声も収められていますが、あの日のライブはいかがでしたか?
吉井:ヤバかったですよ。今までで1番最悪なコンディションで挑んで、歌えるかわからないのにステージに立っていたので。でも、あの景色が見れたっていうのも、こういう状況じゃないと僕にはあの景色を見せてもらえないんだって、笑いましたけどね(笑)。何かそれぐらいあの歓声と目に見えない“陽”の気が独特だったなと思います。
――終演後にメンバーの皆さんも、これまでと違う充実感を感じられていたのが印象的でした。
吉井:メンバーもいい味出してましたね。あと、(日本武道館での)パンツのくだりとか、“寅さんとタコ社長”みたいな会話(笑)。これ、傍から見たら面白いだろうなと思ってました。
――面白かったです(笑)。メンバーの皆さんとの温かな関係もステキでした。改めて吉井さんの形作る本当にさまざまなファクターが宮地監督によって丁寧に紡がれていますが、この映画が完成する前と後で心境の変化はありましたか?
吉井:映画がきっかけでそうなったのかは分からないですけど…ひと角取れたかなっていう感じはします。なんか、僕が野菜だとしたら「角が取れた代わりにいい出汁が出た」みたいな(笑)。それがいいのか悪いのか、今はわからない。でも、恥ずかしいものが撮れてしまったなとか、本当はこんなつもりじゃなかったなってことは一切ないので、やっぱりこの作品を作ることは自分の使命だったと思います。
――この映画がようやく皆さんの元に届けられますが、映画のHPには「僕と同世代の方にはもちろん、若い方にこそ是非見ていただきたい」と言葉を寄せていましたね。
吉井:若い人ってやっぱり元気だから、僕もそうだったけど、いくら年寄りが言ったって聞かないと思うんです。ただ、年取ったらこういう道も待ってるから、それだけは覚えておいてほしい。若いうちに、元気なうちに、いろいろなやりたいことを悔いのないようにやってこそ、『みらいのうた』が響くはずだから、とにかくやってください、と思ってます。
(取材・文:齊藤恵 写真:横山マサト)
映画『みらいのうた』は、12月5日より全国公開。
吉井和哉 写真:横山マサト

