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約3時間の上映時間で歴代興収1位に 李相日監督が語る長尺映画の必然性と創作の原点

映画

■映像化ではなく「映画化」――観客の想像力に委ねる“余白”の演出

 吉田修一による長大な原作小説を、単に映像に置き換えるのではないと、李監督は強調する。そのために、脚本家の奥寺佐渡子と徹底的に議論を重ね、物語の核を見定め、観客が3時間という時間を忘れるほどの体験を創造することに心血を注いだ。

 「これは映像化ではなくて“映画化”なので、3時間という実時間を忘れさせて、体感時間として没入させるために何を抽出するべきか。とにかく意識したのは『時間をどう経ていくか』ということです。時間の経過というのは、ただ年代が飛ぶということではなく、時間が経過することによってキャラクターたちがどう変化していくのか。そして、存在していたキャラクターたちも当然、自然と退出していく」。

 物語の全てを説明するのではなく、あえて語らない部分を残す。その“余白”こそが、観客を物語の世界へ深く没入させる。

 「『あの人はどうなったのか』とか『この関係性はなぜこうなった』とか、ことの顛末をどうしても拾いたくなるのですが、あえて拾わないで観客の想像力に委(ゆだ)ねる選択をする。そのために、逆に原作にはないシーンを足すこともあります」。


 その創作姿勢は、原作からの改変にも見て取れる。物語中盤、春江(高畑充希)が俊介(横浜流星)の手を引いて走り出す場面。原作では俊介が春江の手を引くこのシーンを、監督はあえて逆に描いた。そこには、顛末を描かない映画だからこその、緻密な計算があった。

 「小説では、春江が俊介に連れられてしまう。いわば受け身の出奔なわけですが、後の顛末を描くことで、彼女の心情が納得できるようになっています。映画では、その顛末を描かない選択をします。その場合、喜久雄(吉沢亮)を諦めるに至る春江の心情と、まさに俊介の手を取る瞬間の彼女の意思が見えなければなりません。つまり春江の意思、主体性による出奔でなければ、その後の顛末で説明しなければならなくなる。春江の『選択』が見えなければ、『なぜ俊介を選んだのか』という謎が謎のまま残されてしまうわけです」。

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■未来を見据える視線――「映画は年月の風化に耐えなければいけない」

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