ジェームズ・キャメロン、『ターミネーター』のような映画は「今は作れない」
「主人公のジェイクは元海兵隊員です。海兵隊には『世界で最も強力な武器は、海兵隊員とライフルだ』という言い回しがあります。わたしはこの物語の脚本を20年前に書き始めましたが、当初の脚本では<ジェイクがナヴィに銃を配って使い方を教える>というシーンがありました。しかし6年前に撮影してから、『暴力はいつ必要なのか』について、ずっと考えて、最終的にはカットしました」
「つまり戦争や防衛、反撃のための戦いが正当化されるのはいつなのか? 逆に、それが攻撃的・支配的・侵略的あるいは“ただの病理”になるのはどこなのか? ということを考えたんです。映画の中にもそのテーマがかなり色濃く出ていると思います。明確な答えがあるわけではないですし、わたし自身も『これが正解だ』とは思っていません。そもそも簡単な答えなんて存在しないんです」
本作で描かれる戦いの目的は、キャラクターでさまざま。スカイ・ピープル(人間)は極めて攻撃的で、大型の武器システムを持ち、命を軽んじている“征服者”。一方で、アッシュ族は過去に受けたトラウマのせいで、攻撃的な存在になってしまう。
「アッシュ族は“銃”を欲しがります。なぜなら銃は、“力”を象徴するからです。彼らに武器が渡れば、武力を持ってしまう。これは植民地主義の時代にも起きたことで、先住民がヨーロッパの植民者から武器を与えられ、同士討ちが起き、それが結果的に完全な征服へとつながっていきました」
ジェイク 映画『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』場面写真 (C)2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
一方、戦士として訓練された人生を送ってきたジェイクは、仲間や家族、自分が信じるものを守るために戦いを選ぶ。
「彼には勇気も、戦いを指揮する知性もあります。でも、できるなら戦いたくない。戦えば、守ろうとしている人々の命が犠牲になると知っているからです。もう一方の極端な存在として、トゥルクン(パンドラに生息するクジラのような海洋生物)たちがいます。彼らは完全な平和主義者で、どんな理由があっても戦いません。ただし例外がいます――パヤカンです。彼は母親を“外敵”に殺されるのを目の当たりにし、反撃しました」
「つまり、簡単な答えはどこにもないんです。でもわたしが描きたかったのは“侵略のための戦争”と、“信じるもののために戦うこと”、そして“家族や仲間やコミュニティのために戦う勇気”の違いなんです。映画はその全部を描いています。ジェイクにも“簡単な答え”はありません。ネイティリにとっては単純で「全員殺せばいい」と思ってしまうでしょう。でも彼女ですら、自分の中の憎しみや敵意と向き合わなければならないんです。結局この物語は、人々がこうした“難しい倫理的問題”をどう切り抜け、自分の道を見つけるのかという話なんです」
加えて「『ターミネーター』のような映画は今は多分撮れないかもしれない」ともキャメロンは語る。具体的には、銃の暴力を称賛するような映画だ。「銃暴力や銃乱射事件が増える中で、今『ターミネーター』のような映画を撮ることは正直難しいと思っています。そういった事件が起こる現実に本当に恐怖しているし、ニュースを聞くたびに胸を痛めています」と話す。
ジェームズ・キャメロン
そんなキャメロンは「映画にしかできないこと」を問われると、少し悩みながら「1つのアイデアを正確に表現できるもの」と回答。
「テレビ番組に、同じレベルの没入体験は生み出せないと思っています。映画館に行くと、より深い体験があり、より強い没入とつながりが生まれ、自然と集中します。TikTokが悪いわけではないですが、映画は短尺動画とは違うし、リモコンひとつでいつでも止められる配信作品とも違います」
「映画を見る時、わたしはよく『自分自身と契約を結ぶ』という言い方をするのですが、ほぼ瞑想に近い状態に自分を置くんです。2時間、あるいは3時間、途中で途切れない体験になると分かっていて、そこに身を委ねる。ある意味、自分自身に“より深い体験をすること”を課しているとも言えます。そうやって映画は見る人の感覚を完全に支配します。これこそが、映画にしかできないことだと思っています」
(取材・文・写真:阿部桜子)
映画『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は公開中。

