シニフィエ・小野晃太朗、新作では“現代の悪”を再考 舞台『百合鴎』インタビュー
――第19回AAF戯曲賞大賞作品『ねー』ですね。これはどんなテーマで書かれた作品だったのでしょうか?
小野:どの作品にも通底しているのですが、加害や被害がテーマでした。幼少期の記憶やジェンダーについて考えていることなど、問題についての意識や無意識を手繰り寄せるように書いた作品で、「あれは気のせいではなかろうか、いや、そんなはずはなかったぞ」と確かめるように自分のこれまでを振り返りました。あと、当時は割とオーバーワーク気味で外界との接点がシャットアウトされ、世界と切り離されてしまっている気がしていたので、その繋がりを取り戻す意味でも、世の中で起きていることを自分なりにキャッチして言語化してみようと。そういう思いも根っこにありました。
――なるほど。幼少期からのご自身の経験を振り返りつつ、今の社会で起きていることを描こうとされたのですね。
小野:例えば、自分の身を守るために愛想よく返事をしたりすることが、相手にとっては好意と取られてしまうこと。そういう自分にも心当たりのある理不尽が世の中に数多存在していることをかなりやばいことだなと思ったりして……。そこからあらゆる被害が透明化されてきたことに気づき、糸が繋がった瞬間があったんです。
そして、こうした感覚は他のフィクションでは書けない、戯曲にこそ託せる実感だと感じたんです。幼少期に自分が負ったダメージや、今まで言語化できてなかったことや身の回りの人に起きていることを繋げていくことで見えるものがあるんじゃないか、と。そうした現在起きている出来事を劇の中に立ち上げ、登場人物に動いてもらうことによって未来をシミュレートすることはできないだろうか、と。そんな風に考えるようになりました。

――小野さんの戯曲は言葉の力で推進するところも大きな魅力で、私も何気なく使われている言葉を再考するきっかけにさせてもらったりしているのですが、そのあたりはどのように考えて執筆されているのでしょう?
小野:執筆中は政治や日本人の国民性みたいなものを考えることにもなるのですが、それは、日本語そのものについて考えることだとも思うんですよね。例えば、日本語には複雑なことを大味で曖昧なものにくるんじゃうところがあると思っていて、「いじめ」や「いたずら」「かわいがり」とかも言葉以上のやばいものを含んでいるのに、言葉によって起きていることが矮小化してしまっている、と思ったり……。そういう理不尽さへの気づきを1回取り出し、自分から排出したい気持ちもあります。
執筆の中では、自分の中の腹立たしいことリストを考えたりもするのですが、その上位に来るのが、被害を訴えた時に詳細やその証明をセットに要求されてしまうんだけど、そのことによって見た目や属性などのバイアスが外部から加わる、ということです。被害や加害をそれそのものとして受け取るにはどうしたらいいか。そういうことも考えつつ、言葉を選びながら執筆を進めています。
■演出への苦手意識や中止のトラウマを乗り越え、岸田國士戯曲賞ノミネートへ
【公演概要】
シニフィエ『百合鴎』
9月18日・19日 東京・すみだパークシアター倉
■戯曲・演出:小野晃太朗
■出演:金定和沙、菊池佳南、新田佑梨、はぎわら水雨子、原田つむぎ、藤家矢麻刀、堀夏子