『リメンバー・ミー』は、なぜ泣ける? “夢と家族”の両方を諦めない物語がポイントに
本作は、音楽家になるという少年の夢を阻む家族という障害をいかに乗り越えるかに焦点が当てられている。家族は最小単位の社会と先に書いたが、その家族が障害となっているこの物語は、人が夢を追いかける時には、様々な障害があるということをほのめかしている。本作自体は、少年と家族の物語だが、物語の構造として、個人と社会の衝突を描いているともいえる。だからこそ、本作は、あらゆる人にとって共感を覚える内容になっているのだ。
では、どのようにこの衝突を解決してゆくのか。ここに本作のうまさがある。ミゲルは、音楽に理解を示さない家族から逃げるように、死者の国に迷い込む。そこで、彼はかつて音楽のために家族を捨てたヘクターという男性に出会う。
ヘクターは、今のミゲルのように音楽を選び、家族と再会できずに死を迎えてしまったことを後悔している。死者の国では、現世に自分を覚えている人が一人もいなくなると、存在そのものが消える「二度目の死」という概念がある。だから彼は家族を選ばなかったかつての自分の決断を悔やんでいる。ヘクターは、自分の娘になんとか写真を飾ってもらい、思い出してもらいたくて、ミゲルに写真を託そうとする。
ヘクターとミゲル 映画『リメンバー・ミー』(2018) 写真提供:AFLO
ミゲルとヘクターの目的意識が正反対であることが、この物語の優れた点だ。ミゲルにとって家族は夢の障害だが、ヘクターは家族こそが目標なのだ。ヘクターのこの設定によって、この物語は観客に、ミゲルの問題だけではなく、ヘクターの問題とも向き合わせていく。
こうして、家族が大事か夢が大事かの二択ではなく、家族と夢どちらも大事だという方向に物語が進んでいくことになる。
なので、ミゲルは家族に音楽の大切さをわかってもらわねばならないことになる。本作は、その難しさを見事にクリアして、音楽こそが家族の絆をより強くするという展開を用意しているのだ。現世に生きる家族だけでなく、死者の家族の絆までも音楽で結び付けていくという劇的な展開によって、その奇蹟をもたらす音楽、映画のタイトルにもなっている「リメンバー・ミー」に涙するのだ。音楽が奇蹟を生んだ瞬間を、劇的に作り出すことに成功している。