〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉Vol.2 サム・ライミの全てが詰まった?『XYZマーダーズ』
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それが変わったのは、大学に入って(兄のルームメイトだった)ロバート・タパートと出会ったからである。ロバート・タパートはサム・ライミの8ミリ作品に可能性を見出し、資金集めをして実際に映画館にかかる作品を作ろうと提案した。サム・ライミが大学時代に撮った初の長編8ミリ映画『It’s Murder!』(1977)の学内上映会での反応は芳しくなかったが(サム・ライミはそれで大変落ち込んだという)、特定のショック場面や恐怖演出が観客の強い反応を引き出していたのをロバート・タパートは見逃さなかった。その長所を活かして作られたのが『死霊のはらわた』だったわけだが、スラップスティックではなくホラー作品を選んだ理由にはもうひとつ、「素人しか出ていないコメディ作品で興行的な成功を勝ち得ることは不可能に近い」という冷静な判断も働いていた。『死霊のはらわた』は戦略的な作品で、ジャンルの選択自体もその戦略性のうちにあったのである。
興行的成功を収めた『死霊のはらわた』(1981) 写真提供:AFLO
ライミとタパートの目論見は奏功し、『死霊のはらわた』は大ヒット、わずか22歳のサム・ライミの才能は業界の注目を浴びることになる。『死霊のはらわた』の製作で知り合ったイーサン&ジョエルのコーエン兄弟が書いた『XYZマーダーズ』の脚本にゴーを出したのはエンバシー・ピクチャーズ。70年代から80年代にかけてジャンル映画を量産したエンバシーは1981年に『魔界からの逆襲』というオカルト・ホラー映画を作っているが(学校のドッジボールの試合でボールを腹に食らった生徒が口からドバーッと血を吐いて死ぬ場面が印象的)、この『魔界からの逆襲』の編集を担当していたエドナ・ルース・ポールが『死霊のはらわた』を編集していたとき、助手でついていたのがジョエル・コーエンだった(エドナはコーエン兄弟のデビュー作『ブラッド・シンプル』(1984)にも編集コンサルタントとして参加している)。サム・ライミにとって初の「スタジオ映画」となる『XYZマーダーズ』がこうして動き出した。
『XYZマーダーズ』(1985)より (C) 1985 Embassy Films Associates
『XYZマーダーズ』の物語を要約するのは難しい。映画はある夜、デトロイトの刑務所で一人の無実の男が電気椅子へと連行されていくところから始まる。ヴィックという名の冴えない男(リード・バーニー)は何件もの殺人の容疑をかけられて逮捕され、いまや彼の命は風前の灯火である。電気椅子の処刑が刻一刻と迫る中、観客はヴィックの回想という形で、とある嵐の晩に起きたスラップスティックな一連の大騒動を目撃することになる。共同経営者を殺そうと企んだ男とその妻、彼が殺人を依頼した二人組の殺人請負人(「ネズミから人間まで」なんでも殺すのがモットー)、ヴィックが出会った夢の美女ナンシー(シェリー・J・ウィルソン)、イヤミでイケメンな彼女の元カレ(ブルース・キャンベル)がさまざまなドタバタ的なシチュエーションの連続の中で交錯する『XYZマーダーズ』は、スラップスティックであり、フィルム・ノワールであり、ヒッチコック的なサスペンスもあれば派手なアクションもあるという、「究極のエンターテインメント映画」(サム・ライミ)になるはずだった。足りないのは『死霊のはらわた』を真っ赤に染め上げた血糊だけだったーー『XYZマーダーズ』には一滴も血が映らないのである。